2017年12月21日公開

なつかしのオフィス風景録

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旅行で人事評価が決まることも? 昭和の社員旅行事情

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企業にとっての一大イベントだったという、昭和の社員旅行事情についてご紹介します。

現代からはなかなか想像できない、過去のオフィスにまつわる風景や、仕事のあり方を探る「なつかしのオフィス風景録」。第2回のテーマは、昭和の社員旅行事情。

今回は日本初の旅行会社として知られる株式会社日本旅行様に取材。入社以来、数々の社員旅行を手配してきた新宿法人営業部 法人3部 部長の串田敏生さんに、昭和の社員旅行事情についてお話を伺いました。

社員旅行で人事評価が決まることもあった

取材者
串田さんは1980年代に日本旅行さんに入社されたそうですね。当時の社員旅行とはどのようなイベントだったのでしょうか?
串田さん
一言で言うなら企業にとっての一大イベント。社員は基本的に全員参加が当たり前でしたし、企業によっては幹事の人事評価につながることもある重要な行事でした。
取材者
「社員旅行が人事評価につながる」とはどういうことでしょうか?
串田さん
旅行先でいかに社員を楽しませることができたか、また旅先でのトラブルに柔軟に対処できたかなどを社長さんがチェックし、そこでの対応や振る舞いが、幹事さんの昇進を左右するケースがあったんです。部署単位での宴会芸などが評価にかかわることもあったので、社員さんは出し物の練習にも数カ月前から本気で取り組んでいたし、旅行といえども緊張感がありましたね。
取材者
当時はバブル真っ盛りだったと思うのですが、社員旅行の予算や行き先なども派手なものでしたか?
串田さん
実はそうでもなくて、当時の社員旅行の予算は一人あたり一泊二日で35,000円前後。行き先としては軽井沢や鬼怒川、那須あたりが多かったように思います。そういう意味では、最近と比べてもそこまでの変化はありません。ただ、旅先での様子は今とはずいぶん違いました。
取材者
具体的にどのように違ったのでしょうか?
串田さん
私が昭和の社員旅行と聞いて真っ先にイメージするのは、旅館やホテルでの大宴会ですね。とにかく皆さん、どの会社も信じられないくらい飲みまくっていた(笑)。酔っ払って廊下のあちこちで眠る方や、勢い余って旅館の障子を破いてしまう方もいて、宿の人に苦い顔をされることも多々ありました。お客様の社員旅行に付き添うときには、宴会の席でお酒を勧められることも多かったのですが、私自身は下戸なのでいささか憂鬱(ゆううつ)なときもありましたね。
取材者
それは確かに現代では少なくなった光景かもしれませんね(笑)。
串田さん
バブル後は騒がしい宴会や、土日がつぶれてしまうことが敬遠され、女性や若手社員の参加率がだんだんと落ち込んでいきました。しかし東日本大震災以降、社員同士の「絆(きずな)」やコミュニケーションを重視する企業が増えて、再び社員旅行に注目が集まっているような向きがあります。
最近では社員みんなで同じ観光地を回ることは少なくなり、体験や観光、ゴルフなど、旅先で幾つか設けられたプランから、各自が好きなものを選ぶような形式が主流ですね。旅行の内容に、社員同士でチームを組んで問題解決に取り組むような「チームビルディング」を取り入れる企業も増えています。

人と人のつながりが仕事でも重視された時代

取材者
串田さんは入社当初から社員旅行などを担当する法人営業に携わっていたそうですね。営業のやり方も今とは違ったのでしょうか?
串田さん
最近はインターネットで、数社の相見積りが即座にできるサイトがありますよね。お客様がネットで見積りをとって、一番安い旅行会社にコンタクトをとられるケースが多いです。しかし私が入社した当時は、こちらからの飛び込み営業が基本。多いときは1日40件ほどの営業先を回ることもありました。高層ビルの上から下まで、順番に訪問するなど、とにかく足で稼いでいましたね(笑)。今だとセキュリティが厳しくて門前払いされるような企業様でも、「ご旅行担当の方をお願いします」と窓口で頼めば、わりとすんなり会ってくれていた。そこで名刺を交換し、足しげく通ううちに、「じゃあ見積書をつくってくれる?」となるわけです。
取材者
とにかくこまめに足を運ぶことが大切だったんですね。
串田さん
営業のハードルは今よりも格段に低かったと思うし、とにかく「人と人のつながり」が仕事のうえでも重視されていた気がしますね。私が新人時代に担当したお客様の中で、仕事に非常に厳しい方がいらっしゃいました。その方からはいつも怒られてばかりで、社会人としての基本的マナーや書類のつくり方など、本当にたくさんのことを学ばせていただいた。
その方のご要望に力を尽くしておこたえして、非常に大きな額の受注に至ったときに「この仕事は日本旅行というより、串田くんだからお願いした仕事なんだよ」とおっしゃっていただいて。うれしくて上司の前で泣いてしまったことを覚えています。
取材者
すごく良いお話ですね。
串田さん
その方とは、プライベートでも30年以上に渡るお付き合いになりました。私の印象としては、当時はビジネス上での人間関係が今よりもう少し“ウエット”だった気がしています。社員旅行後に「反省会」と称して、幹事さんたちから打ち上げに招いてもらうことも多かったですね。

サービスエリアに添乗員の長蛇の列が!

取材者
当時、社員旅行に同行したときによく見かけた光景などはありますか?
串田さん
高速道路のサービスエリアに立ち寄ると、電話ボックスの前に各旅行会社の社員や添乗員が長蛇の列をつくっているんです。当日欠席の人がいた場合、宿泊施設や食事場所に事前キャンセルの連絡をしなくてはいけませんから。現代では移動中でも携帯電話で簡単に連絡がとれますが、当時は高速に乗ってしまうと、サービスエリアくらいしか連絡できる場所がなかった。あの光景は今でもよく覚えていますよ。
取材者
串田さんが仕事の中で「最近は便利になったな」と感じることはありますか?
串田さん
今は企画書をつくる際には、パワーポイントなどが主流ですよね。しかし当時はそんな便利なツールはありませんでしたから、手書きで資料を作っていました。職場にワープロはありましたが、一人一台あてがわれているわけではないので、順番を待たなければならない。そんなことをしていると、お客様へのレスポンスは遅れてしまうので、それなら手書きの方がマシだろうと。
手書きの日程表と見積書、それに宿泊先のホテルのパンフレットだけ持ってお客様の元へ飛び込んでいたんです。見積り作成の際に使っていたタリフ(観光施設や宿泊施設の料金一覧表)も、当時は紙ベースなので、料金改定がリアルタイムで反映されていないことも多くて苦労しました。
取材者
当時と比べると現代はやはり、便利な時代になったということでしょうか。
串田さん
とても便利になったと思います。しかしその反面、出先でもメール対応が求められたり、お客様から深夜に「明日の午前中までに見積りを出してほしい」とメールが入っていれば、翌日出社してから大急ぎで対応しなければならなかったりする。昔は電話ベースのやりとりだったので、もう少しスローでしたよね。便利になったことで拘束されることや、やるべきこともたくさん増えたので、それはそれで大変だと思います。それに比べて私が若いころは、いろいろな意味で「おおらか」な時代だったと言えるでしょうね。
取材者
なるほど。確かにそうかもしれません。
串田さん
その一方、仕事で一番大切なことは、当時と現在でも全く変わっていないと思います。私たちは日本旅行という看板の下で仕事をしていますが、その根本にあるのはあくまで「人対人のコミュニケーション」です。やっぱりお客様と密に顔を突き合わせている社員が、現代も過去も、変わらず仕事を取ってきているような印象を受けますね。

株式会社日本旅行

1905年(明治38年創業)、日本最初の旅行会社として知られる総合旅行会社。創業者である南新助が伊勢神宮参拝の団体旅行(日本初の団体旅行)を主催したことがそのルーツにある、日本の旅行業界のパイオニア的企業。

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