お箸型デバイスに厳しい意見
――エレキソルトの開発はどんなきっかけで始めたのですか。
佐藤愛氏(以下、佐藤) 私はもともとキリンビール横浜工場内のR&D本部で食を楽しむための新しい素材の研究開発をしていました。大学病院に行き、研究する食品素材の性質が人に健康被害をもたらさないか共同研究をしていました。
ある時、病院の先生から雑談がてら「患者さんに食事療法をなかなか続けてもらえない」というお話を聞きました。患者さんからは「大事なのは分かるけど、つらくて続けられない」という声をうかがいました。
日本人はもともと食塩を摂りすぎと言われる食文化に慣れているので、いきなり減塩されて1日6gや8gの病院食では「物足りない」といった声を数多くいただいていました。
「エレキソルト -椀-」の試作品を手にして説明する佐藤愛氏。キリンホールディングスのヘルスサイエンス事業本部ヘルスサイエンス事業部新規事業グループに所属する(撮影:長坂 邦宏)
――私も入院の経験がありますが、唯一の楽しみは食事です。最初は楽しく食べるのですが、すぐ飽きてしまいます。減塩の病院食って、正直なところ、おいしくないんですね。
佐藤 私自身もどれだけつらいのか、試しに3カ月ほど減塩生活をしてみました。最初は減塩食も意外と美味しいと感じたのですが、次第に食欲がなくなり、体重も減り始め、最後は5kgほど体重が減りました。これではもう続けられないと思い、何とか解決する手段はないものかと考え始めたのが最初のきっかけです。
弊社R&D本部では自分の携わる業務以外に、お客様の健康課題だったり社会課題だったりを解決するための研究開発を、自分の業務時間の10%を使って自由に行っていいという制度があります。その制度を使い、技術探索を行ったのが2017年から18年にかけてです。
具体的には「身体に悪影響のある成分(塩分など)を過剰摂取しなくても、食事の満足度を上げる方法」を探索していました。そのような中で、明治大学総合数理学部先端メディアサイエンス学科の宮下芳明教授が研究する「塩化ナトリウムに頼らず電気刺激で味を再現する技術」に出会いました。キリンと明治大学で研究領域は大きく異なっていましたが、社会課題解決に向けて目指す姿は共通していました。
最初はパソコンに基板とお箸をつないだ機器を手作りして、いろんな食事を食べてみて、どんな味になるか調べることからスタートしました。自分では味が変わったんじゃないか、美味しく食べられるんじゃないかと思っても、実際に別の人に試食してもらうと全然評価が違う。厳しい意見もいただきました。
「思ったような味の変化はなかった」
「塩味が増強されるタイミングが期待したタイミングとずれていて違和感がある」
「お箸にコードがつながっていて、使いにくく食事どころじゃない」
食事の体験って、味だけじゃなくて、動作も含めて全部セットになっているということに改めて気づきました。
――失礼な聞き方かもしれませんが、お箸にコードがつながっているのはいかにも使いづらいですね。なぜ、お箸型デバイスの開発から始めたのですか。
佐藤 お箸から入ったのは、やっぱり日本人はお箸だろうと思って。お箸の中にコンピュータや電源を収めると体温計ぐらいの大きさになってしまい使いにくかった。そこでコードでつないだらどうかと考えたのですが。お箸って想像以上にいろんな持たれ方、使われ方をするんですね。持ち方次第でうまく電流が流れなかったり、軽く回すように使うとコードに引っ張られてお箸の可動域が狭くなってしまったり。
減塩食を食べている31人を対象に体感調査を行いましたが、使い勝手に関する評価があまりにも悪かったので、いったんお箸型デバイスの開発はストップすることにしました。ただ、このお箸を使ってさまざまなデータを取得したのは、のちに役立ちました。
現在開発中の「エレキソルト -スプーン-」と「エレキソルト -椀-」(出所:キリンホールディングス)
電流のかけ方を工夫し、ナトリウムイオンを舌に押し付ける
――エレキソルトの原理である「電気味覚」について教えてください。