2025年 2月12日公開

一歩先への道しるべ ビズボヤージュ

今や世界で稼ぐ大阪ガス

企画・編集・文責:日経BP総合研究所

地域密着企業がなぜ海外?

大阪ガスの海外エネルギー事業が好調だ。近年の損益をみると、今や国内エネルギー事業の利益を上回るほど。同社の海外事業の多くに携わり、現在は新規事業開発部長を務める佐藤克峰氏に、もともとは地域密着事業が主力だった同社が海外事業に進出することになった経緯、そして同社が見据える近未来の新規事業を聞いた。

菊池 隆裕=「一歩先への道しるべ」編集長

* 本記事は「一歩先への道しるべ(https://project.nikkeibp.co.jp/onestep/)」の記事を再掲載しています。所属と肩書は取材当時のものであり、現在とは異なる場合がございます。

――最近の決算発表を見て驚きました。今や海外エネルギー事業の利益が、国内エネルギー事業を上回っているんですね。海外事業が稼ぎ頭であることは全く知りませんでした。

佐藤克峰氏(以下、佐藤) 2022年3月期の決算では国内エネルギー事業が386億円の利益だったのに対して、海外エネルギー事業の利益は443億円となりました。海外エネルギー事業の利益が国内エネルギー事業を超えたのはこの年が初めてです。2023年3月期では国内エネルギー事業が273億円の赤字でしたが、海外エネルギー事業で697億円の利益となりました。

大阪ガスの海外事業を振り返ると、2009年が大きな転換点でした。この年に「Field of Dreams 2020」と呼ぶ長期経営ビジョンを打ち出しました。そこで「2020年度に海外エネルギーと国内エネルギーの事業規模比率を1対2にする」と打ち出しました。事業構造を変革し、グローバルに活動するエネルギー・環境事業の企業グループを作るという宣言です。ただ、当時は海外事業というセグメント分けもなく、売り上げとしても非常に小さい状況でした。海外事業を切り出して対外的に発表したのは2011年3月でしたが、この時点で国内エネルギー事業の利益は670億円ぐらい。それに対して海外は10分の1以下の50億円弱でした。

こんな状況だった当時に「10年後に1対2にするぞ」とぶち上げたのが大きな決断であり、現在の状況を生み出したきっかけだったのではないかと思います。

大阪ガス 新規事業開発部長の佐藤克峰氏。同社の多くの海外事業に携わってきた。

――まさに「夢想」に近いところからのスタートだったのですね。宣言の後、海外事業は順調に拡大できたのでしょうか。

佐藤 その後どうなったかというと、2030年を意識した長期経営ビジョンを打ち出した2017年でも国内エネルギーと海外エネルギーの利益比率は約10対1でした。それでも引き続き「2030年には、国内非エネルギー事業を含んだ国内事業と海外事業の比率2対1を目指す」と宣言しました。

この後、急速に海外事業の利益貢献が伸びて、5年後の2022年3月期決算で初めて海外エネルギー事業が国内エネルギー事業を超えました。この年は、国際情勢による影響や国内でのガス小売り自由化の影響もあってたまたま国内エネルギー事業がへこんだという事情もありましたが、海外事業に投資し続けたかいがあって2009年に掲げた目標を2年遅れで達成できたわけです。

――大阪ガスの海外事業とは、具体的にはどのような内容ですか。

佐藤 当社の海外事業の歴史は、さらに2003年にまでさかのぼります。この年、それまでLNG(液化天然ガス)の購買部門だった原料部を、利益を生み出す事業部に改組しました。コストセンターからプロフィットセンターへの転換です。この変更により予算をつけて人も増やしたのです。人員は2003年当時の20人程度から現在では300人以上となりました。これがターニングポイントの1つでした。

その前のきっかけの1つと考えられるのが、2000年の冬、米国向けにLNGを転売したことです。今でいう「スポットトレーディング」です。

LNGの売買契約は15~20年の長期契約が一般的なのですが、この年、想定よりもガスの需要が少なくLNGが余ってしまいました。販路を広げるにも、当社の国内での販売先は関西の供給エリアに限定されています。契約上、いったん購入すると言った量を購入できないときは、違約金を払わないといけない。そこで目をつけたのが米国です。この時はまだシェールガスが出ていなかった頃で、米国国内のガスが不足し値段が高騰していました。その機会をとらえいろいろ調べ、実際米国にLNGタンカー1隻分のLNGを売ったんです。

LNGを買うだけだった我々が、LNGを売ることで利益を上げることができた初めての経験で、コストセンターからプロフィットセンターへの第一歩になったと思います。

更に遡ると、2000年の夏にオーストラリアのLNG上流開発プロジェクトに投資したのも海外進出のきっかけになったと思います。これは、LNGを買う我々からすると、売り主のビジネスを知るための活動でした。どんなビジネスをして、どのような利益構造で儲けているのか知りたいということです。LNGのサプライチェーンの下流にいると、LNG価格が高騰した際に利益が減るので、反対に利益が増える上流プロジェクトへの参加はナチュラルヘッジにもなるという狙いもありました。これによって上流ビジネスへの参画の流れが生まれたと思います。

この2000年当時、ガス供給事業は規制事業であり、将来的に人口は減るという話はあったものの、比較的ビジネスは安定していたので、こうした海外事業については全社方針というよりは、「個々の案件で良さそうなら、やっとったらええんちゃうか」くらいの意識だったかと思います。

このとき米国へLNGを転売しようと動いた当時の尾崎裕・原料部長が、後に社長になり、2009年に発表した長期経営計画でグローバルな企業を目指すというメッセージを打ち出しました。1万人を超えるグループ社員の中で海外に関わる社員は50人くらいでしたから、全体的にはあまり社員には響いていなかったように記憶しています。