2018年 2月

なつかしのオフィス風景録

プログラミングは手書きでやっていた? 昭和のシステムエンジニア事情

パソコンなどのツールが普及する以前の昭和のシステムエンジニアの仕事事情について、当時を知る人のお話を紹介します。

現代からはなかなか想像できない、過去のオフィスにまつわる風景や、仕事のあり方を探る「なつかしのオフィス風景録」。第4回のテーマは、昭和のシステムエンジニア事情。

今回は創業50年以上の歴史を持つシステム開発のプロフェッショナル企業、日本システムウエア株式会社様に取材。昭和の時代からシステム開発に従事されてきた下山義司さん(写真左)、桐林亨さん(写真中央)、齋藤修一さん(写真右)に当時のお話を伺いました。

システムエンジニアの手に「ペンだこ」があった時代

取材者
昭和と現代のシステムエンジニアの業務で、一番の違いとなるのはどのような部分でしょうか?
桐林さん
最大の違いはプログラミングを手書きで行っていたことだと思います。
下山さん
当時は今のように1人1台パソコンが普及しているような時代ではありません。コンピューターがそもそも社内に1台しかないなんてこともザラです。プログラミングもパソコンの画面上で行うものではなく、「コーディングシート」と呼ばれる専用の用紙に手書きで行っていました。
齋藤さん
プログラミングを行う際には、全体の流れを整理するためにまずフローチャートを作成すると思うのですが、当時はそれも手書き。「フローチャートテンプレート」という専用の定規のようなものを使って、紙に書き出していましたね。
下山さん
当時のシステムエンジニアにとって紙と鉛筆は必需品。机は消しゴムのかすだらけだったし、みんな手にペンだこができていました。当時はオフィスの中でたばこが吸える会社も多く、たばこの煙が立ち込める中、みんなでガリガリとコードを書いているのが私の記憶にある昭和の風景です。現代からすると、なかなか想像できない光景ですよね。
桐林さん
コーディングシートに書いたコードを機械に読み込ませるには、その内容をパンチカードに打ち込む必要もありました。そのようなパンチ業務をメインに行う人たちが社内にはいまして。私たち3人がこの会社に入社したのは1979年〜1980年ごろですが、当時はコーディングを行う「プログラマー」と、パンチングなどの業務を行う「パンチャー」に社内で大きく業務が分かれていたんです。
取材者
昭和のシステムエンジニアなら分かる「あるあるネタ」みたいなものはありますか?
桐林さん
パンチしたカードはものすごい枚数になるので、うっかり床に落として散らばると順番が分からなくなってしまう。そこであらかじめ、重ねたパンチカードの側面に鉛筆で斜めの線を引いておくんです。そうすれば、落としてしまっても線に合わせて並べ替えることができますよね。先輩から教えてもらった知恵ですが、社内ではみんなやっていましたね。
齋藤さん
当時は穴の開いたパンチカードを見ただけで、どんな内容のプログラムなのか一目で分かるなんて人もいました。昭和のシステムエンジニアならではの特殊技能みたいなものですね。

フローチャートを手書きで作成する際、当時実際に使っていた「フローチャートテンプレート」。

インターネット前夜における仕事の苦労

取材者
プログラミングを手書きではなく、パソコンの画面上で行うようになったのはどれくらいの時期からでしょうか?
桐林さん
私が入社して数年後、確か1983年前後くらいだったと思います。
下山さん
パソコンやワープロが一般に普及し始めた当時は、そもそもタイピングという行為自体が難しくて。頭で文章を考えながら文字を入力することに慣れるまでは、非常に苦労しました。そこでまずは紙に打ち込む内容を下書きして、それを清書するような形でタイピングしていたんです。
桐林さん
私はブラインドタッチに慣れるため、自宅でタイプライターを使って練習していました。常駐先のお客様に頼まれて、社内向けの練習用にタイピングソフトを自分で開発したこともありましたよ。「これ、商品化したら売れるんじゃない?」なんて、結構評判も良かったです(笑)。
取材者
当時と今を比べて、技術の進化を感じるのはどんなところですか?
桐林さん
「記憶容量」の進歩は著しいですよね。昔は企業向けの汎用コンピューターですら16MB(メガバイト)くらいで、ディスク容量1GB(ギガバイト)のパソコンが出たときは本当に画期的だなと思いました。だけど今ではコンビニで売っているUSBメモリーでも32GBくらいは普通にありますよね。
下山さん
昔は俗に「MT」と呼ばれている記録媒体があって、仕事の中でもよく使われていました。カセットテープの巨大版みたいなものをイメージしてもらうと、分かりやすいかもしれません。当時はそれをお客様先まで車で運んでいたんです。ファイル転送なんて当時はもちろんできませんから、物理的に記録媒体を持って行くしかないわけです。だけど途中でどこかに傷がついたりすると、きちんと読み取れなくなってしまうこともある。横浜から埼玉のお客様先まで持って行ったのに読み込めず、3時間かけてもう一往復……なんてこともありましたね。
齋藤さん
アメリカまでMTを持って行ったのに読み込めず、現地のお客様に「君は何のために来たんだ?」とお叱りを受けたなんて話も当時は聞きました。輸送の過程でトラブルが起きてしまうと大変ですよね。今では大容量のファイルでも、メールなどに添付すれば地球の裏側にもボタン一つで届きます。
取材者
なるほど。インターネットがなかった時代ならではの苦労ですね。
下山さん
1980年代前半のことですが、インターネットの普及以前にアメリカで仕事をしていたことがあります。現地では日本に先んじて企業の中で電子メールが使われており、慣れない身としては苦労も多かったですね。朝一のメールで会議の開催通知が来ていることに気が付かず、いつのまにかオフィスから人が消えていた……なんて失敗談も聞いていたので。そんなミスを犯さないよう、当時からこまめなメールチェックを心がけていましたね。

仕事の中で変わったもの、変わらないもの

取材者
現代が「便利になったな」と思うのはどんな瞬間ですか?
桐林さん
昔は仕事で分からないことがあれば、近くにいる人に聞くか、図書館に行って文献を探すくらいしか方法がなかった。インターネットが普及したことで、世界中の情報を即座に手に入れることができるようになったのは、仕事をするうえでも大きいですよね。
ただその分、仕事にスピード感を求められることが昔よりも増えている。システム開発の現場でも「アジャイル」という言葉をよく耳にします。とりあえず短期間でリリースして、不備があればそのつど直していけばいいというような考え方ですね。
下山さん
昭和の時代は、お客様への納品物はとにかくクオリティが最優先。100%のものを納品するのが当たり前でしたが、最近は80%でいいからスピード感の方を重視するケースが増えている。昭和を経験した者の矜持(きょうじ)からすれば、「それでいいのか?」と思うことはもちろんあります(笑)。しかし、技術の発展は日進月歩なので、「昔のやり方がいい」なんてことは口が裂けても言えませんね。
桐林さん
もちろん、その中で変わらない部分もある。「お客様の意図していることをエンジニアなりにくみ取り、それをどれだけシステムに組み込めるか?」という私たちの仕事の本質は、今も昔と変わっていないと思います。その本質を前提としつつ、「スピード感が重視される中で、いかにサービスのクオリティも担保できるか」が課題なのでしょうね。
齋藤さん
あと付け加えるなら、ホワイトカラーっぽく見えて意外と体力勝負なのも、この仕事の変わっていない部分です(笑)。
取材者
もしも今、学生に戻れるとするなら、同じ職業に就くと思いますか?
下山さん
自分はもしかしたら、やらないかもしれない。私の子どもの世代、いわゆる「デジタルネイティブ」と呼ばれるような若い人を見ると、マシンを触らせても直感的に理解する力が本当に優れているなと思うんです。そういう人たちには、ちょっと太刀打ちできないかも。自分はもともと消防士になりたかったのですが、試験に落ちてしまい、それでこの会社に入社したような人間なので(笑)。
齋藤さん
私はたぶん、同じ仕事をやりますね。お客様のニーズを自分なりに解釈して、解決策を提案する。その楽しさというのは、何とも捨てがたいです。
桐林さん
月並みな言葉になりますけど、そうやってお客様が喜んでくれる姿を見るのはやっぱりエンジニア冥利(みょうり)に尽きますよね。
下山さん
私も仕事自体は若い頃から一貫して楽しかったですね。残業も苦ではなかったし、デバッグがうまくいかないときにトイレにこもって延々と考え続けたのはいい思い出です。ふと閃(ひらめ)いたことを試して、それが正しかったときのうれしさは、この仕事の醍醐味(だいごみ)ですよね。

日本システムウエア株式会社

1966年創業の独立系システムインテグレーター。ソフトウェア開発やデバイス開発、システムインテグレーション事業、データセンター事業を中核としたクラウドサービス事業など、創業以来、時代のニーズに合わせた幅広い事業を展開している。