2018年 5月

なつかしのオフィス風景録

オフィスで働く女性の元祖!「職業婦人」の歴史に迫る(後編)

現代からはなかなか想像できない、過去のオフィス風景や仕事のあり方を探る「なつかしのオフィス風景録」。第7回は前回に引き続き、現代OLの元祖ともいえる「職業婦人」の歴史に迫ります。『OL誕生物語 タイピストたちの憂愁』(講談社)などの著書がある早稲田大学教授 原克先生に、職業婦人にまつわるさまざまなお話を伺いました。

  • (注)「OL」や「オフィス・レディ」といった表現については、会社で働く女性を便宜的に表す言葉として使用しています。

和服で出社、アフターファイブは洋服にチェンジ?

取材者
オフィスで働いていた職業婦人の1日の労働時間は、どれくらいだったのでしょうか?
原先生
勤務先や職種にもよりますが、現代とそれほど変わりません。1日8時間程度のイメージで問題ないと思います。午前8時始業など、少し早めの会社も多かったとは思いますが。
取材者
オフィスで働くときの服装はどのようなものだったのでしょうか?
原先生
大正時代くらいだと、和服で出勤する女性が多いですね。デスクワークのときに袖が邪魔になるから、仕事のときにはタスキがけをするわけです。しかしそれでは機能性という点で難がある。そこで次第に仕事用の事務服が普及していきました。
取材者
当時の「事務服」とはどのようなイメージのものでしたか?
原先生
簡単に言うと、かっぽう着のようなものですね。和服で出社して、その上からサッと羽織れる外套のようにゆったりとしたデザイン。ちなみに男性の場合は、当時既に背広を着て働くのが一般的でした。
女性の場合は働くときは和服で、アフターファイブなどで遊びに行くときは洋服に着替えるという人が多かったようです。逆に男性は、仕事が終わったらプライベートは和服で過ごす人が多かったといいます。
取材者
仕事時とプライベートの服装が、男女で逆転しているのは面白いですね。
原先生
そうですね。また和服というのは、お金がかかる服装でもあるので、それが同僚間でのトラブルにつながることもあったようです。高価でおしゃれな和服を会社に着ていくと「あの子、最近ちょっと派手じゃない?」というように陰口を言われるケースもあったとか。またファッションにお金をかけすぎて、身を持ち崩す人もいるのでは、と懸念する声もあった。「仕事時は過度に華美な服装は控えるように」と社内通達を出す会社もあったみたいですね。

和服の上から事務服を羽織っている丸の内の職業婦人の写真。

現代の若者と「遊び方」はあまり変わらない?

取材者
職業婦人のアフターファイブや休日の過ごし方、娯楽としては当時どのようなものがあったのでしょうか?
原先生
代表的なものだと映画を観たり、観劇したり、食べ歩きや銀ブラなど。あまり現代の遊び方と変わらないんですよ。1935年に出版された『流線型アベック』という本があるのですが、これは当時最新の東京遊び場ガイドブックです。若いカップルに向けたデートスポットなどがたくさん載っています。
取材者
具体的にどのような情報が載っていたのでしょうか?
原先生
例えば「帝国劇場の裏にあるビアホールはビールが安くておつまみもおいしい」だとか、「給料日前で懐が寂しいときは渋谷の道玄坂で屋台巡りがオススメ」「ウイークエンドは箱根へドライブ!」などです。
取材者
なんというか、現代の情報誌とあまり変わらない感じですね(笑)。
原先生
全然変わらないです(笑)。当時の若い職業婦人やサラリーマンも、こういった本を参考にしていたのだと思います。また当時、タイピストのために出版されていた雑誌もありました。
取材者
どのような雑誌なのでしょうか?
原先生
雑誌の名前はズバリ『タイピスト』。全国のタイピストを支援する「邦文タイピスト協会」という団体があって、そこが定期刊行で出していた雑誌です。その中に各地のタイピストが情報交換を行うような文通コーナーがあります。
そこでは「鳥取で働いているタイピストですが、丸の内のタイピストはどんな具合ですか?」だとか「今度仙台から九州に引っ越すことになったのですが、そちらにタイピストの仕事はありますか?」だとか、さまざまなやりとりが交わされていました。
取材者
もしかしたら、現代のSNSみたいなイメージだったのかもしれませんね。
原先生
近いものはあると思います。相手の顔も分からないけれど、毎月やりとりを重ねるうちに親しくなって、いつしか相手のことを「お姉様」なんて呼び始めたりするんですよ。同じ職業同士の共感に基づく「絆」が、そこで出来上がっていたのだと思います。

邦文タイピスト協会が発行していた『タイピスト』の実物。

現代のビジネスパーソンとして、私たちが考えるべきこと

取材者
職業婦人についてさまざまなお話を伺ってきました。彼女たちの姿から、現代のビジネスパーソンが学べることはありますか?
原先生
ここで一つご紹介したい資料があります。『婦人画報』の1933年2月号が職業婦人の特集号になっており、その中に現役タイピストの原桂子さんという一般女性が寄稿した記事があるんです。
取材者
どのような内容の記事でしょうか?
原先生
原さんは東京で一人暮らしをしているタイピストです。月収は70円で、当時の女性としては比較的高めのお給料をもらっています。とはいえ東京の暮らしは何かとお金もかかる。彼女はそんな中で、月給の半分近くである30円を毎月の食費に充てているというのです。
取材者
食費が月給の半分近くというのは、ちょっと多めな印象ですね。
原先生
ですがそれは彼女なりの「哲学」なんです。自炊すれば食費も安上がりに済むけれど、自分はあえて外食を選ぶのだと。家族がいるのなら家で食べるのも楽しかろうが、自分は結婚もしていないし、世間から見ると寂しい暮らしに見えるかもしれない。その代わり私は、経済的にも精神的にも「自由」なんだと彼女は言っているわけです。
取材者
前編でのお話にもありましたが、「自立」のために働く職業婦人を象徴するような方ですね。
原先生
彼女が素晴らしいのは、自分が手に入れたものと失ったもの、それぞれの尊さをしっかりわきまえていることです。
小学校のときの同級生が結婚して、子どもが生まれたと風のうわさで聞いた。そういう暮らしはきっと幸せだろうけど、私はそういうふうにはなれない。その代わり私には、自分の暮らしを自分で好きにできる幸せがある。人から「大変そうだね」と言われても、「自分で決めたことですから」と胸を張って返せることが何よりもうれしいんだと。そういうことをこの記事の中で言っているんです。
取材者
働く女性の数や周囲からの理解も少なかったであろう時代に、そのような考え方にたどり着いているのはすごいですね。
原先生
この文章を読んだときは本当に感動しました。言うなればこの方は、パイオニアなんですよ。彼女たちのような先人がいるからこそ、今の私たちの生活があるんです。彼女たち職業婦人が創業者だとするならば、現代のビジネスパーソンはその後を継いだようなものです。
取材者
なるほど。
原先生
人は今ある幸せや豊かな暮らしを「当たり前」なものとして受け取ってしまいがちです。しかし私たちが生きる今は、先人たちの苦しみや葛藤があったからこそ成り立っている。それを忘れてはいけない。
そして今度は私たちが、次の世代に何を残していけるのか考えなければならない。女性がもっとのびのび働けるように法制度を整備したり、待機児童の数を減らすために何が必要かを自分たちなりに考えたり。「そんなこと知らないよ」と言っていたら、当たり前だと思っていたものが、いつの間にか消えてなくなっている……そんなことにもなりかねません。そのような危機感をどこかに持っておくべきなのかもしれないですね。

『婦人画報』1933年2月号。「職業婦人礼讃号」と題されている。

原 克(はら かつみ)教授

早稲田大学教授。専門は表象文化論、都市論、ドイツ文学。表象分析の手法で歴史的事象としての「職業婦人」を読み解いた『OL誕生物語 タイピストたちの憂愁』(講談社)や、同じくサラリーマンについて分析した『サラリーマン誕生物語 二〇世紀モダンライフの表象文化論』(講談社)など、多数の著書がある。