2018年 8月23日公開

【連載終了】なつかしのオフィス風景録

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一枚の名刺の裏にある職人技! 「活版印刷」で作られていた昭和の名刺事情

現代からはなかなか想像できない、過去のオフィスにまつわる風景や、仕事のあり方を探る「なつかしのオフィス風景録」。第10回のテーマは昭和の名刺事情。今回は銀座で1910年から活字製造・販売や印刷業を営んできた、株式会社中村活字様を取材。五代目店主の中村明久さんに昭和の名刺事情や活版印刷事情について、さまざまなお話を伺いました。

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昭和の名刺は、シンプルかつ大量配布?

取材者
1910年創業ということですが、当時から銀座に店舗を構えていたのでしょうか?
中村さん
創業当時から、この場所に店舗を構えていました。1991年まで、東京都庁舎は丸の内にあったんです。霞が関からも近いため、東銀座周辺には、官庁をクライアントとする印刷会社がたくさんあったんですね。
取材者
創業当時から店舗の場所が変わっていないということは、こちらの建物も創業当時のままですか?
中村さん
1923年に関東大震災があり、そのときに一度焼失したんです。その後再建しましたが、第二次世界大戦の際に金属を供出するということで、活字(注)が全部なくなってしまったんですね。戦後にまた再建し、今に至ります。
取材者
2回の再建を経て今に至るんですね。昭和の時代は、主にどのような印刷物を扱っていたんですか?
中村さん
昭和から今まで一貫して、名刺をメインに取り扱ってきました。印刷物は、名刺やハガキなど1枚の用紙から成る「端物(はもの)」と呼ばれるものと、書籍や雑誌などの「ページ物」と呼ばれるものの大きく二つに分けられます。銀座周辺には、うちを含めて、端物を扱う印刷会社が密集していました。一方、ページ物を扱う印刷会社は、文京区辺りに多かったようです。

取材者
昭和時代のビジネスマンにとって、「名刺」というアイテムはどのような存在だったのでしょう?
中村さん
今も昔も、自分の名前を覚えてもらうツールであることに変わりはありませんが、昭和時代のビジネスマンは名刺を配る枚数がケタ違いでした。営業先を訪れるときは、名刺を束で持って行き、フロアの端から端まで歩いてデスクに名刺を置いていく……そんな光景も普通だったようです。当社のお客様先の社員1人当たりに、数千枚もの名刺を刷るなんてこともザラでした。
取材者
それは、印刷会社も大忙しですよね。名刺にはどのような情報を載せていたのでしょうか?
中村さん
会社名と住所、名前、電話番号くらいですね。当時は名刺のフォーマットがある程度決まっていたので、名前の文字や電話番号の数字を差し替えるだけで、すぐに印刷作業に移れたんです。今は企業によってフォーマットが違うし、メールアドレスやらホームページのURLやら、あらゆる情報を名刺に載せるでしょう? そうなると、活版印刷だけではとても対応し切れなくなってくる。
取材者
なるほど……。周囲に印刷会社が多かったということですが、活版印刷の全盛期はいつごろだったのでしょうか?
中村さん
1965年~1975年ごろですね。まだコピー機もパソコンもなく、活版印刷の機械さえあれば、簡単に独立できる時代でした。その後、写植(写真植字)の波が来て、次第に活字が使われなくなっていったんです。
当時の業界では「ホットからクールへ」なんていわれていましたね。ホットというのはつまり、鉛を溶かして活字を作ること。クールというのは写植のことです。写植は、ネガフィルム状の文字盤から文字を探し出して、光を当てて印画紙に焼き付ける技術。作業過程で水を使うため、クールといわれたんですね。
印刷の主流はホットからクールへ、つまり活版から写植にシフトした。その後パソコンが開発されて、現在はデジタルのみで完結できるようになりました。
取材者
パソコンで完結できるようになったというのは、印刷業界にとって革命的な出来事だったのでしょうか?
中村さん
それまでは活字を拾うにしても、写植を行うにしても、印刷というのは職人の仕事だったわけです。それが素人でも印刷ができるようになったことで、廃業する活版屋が増えていった。30年くらい前だと思いますが、DTPが実用化されたときは「もうダメだ」と絶望的な気持ちになったのを覚えていますよ(笑)。
  • (注)柱状の金属の片面に文字を浮き彫りにした、活版印刷に使う字型。活版印刷においてはこれを組み並べてインクを付け、紙に文字を転写する。

昭和の印刷業界を支えた職人技術

取材者
活版印刷の時代の職人の仕事について教えてください。
中村さん
昔の印刷は、名刺にしてもあいさつ状にしても、フォーマットが決まっていたんです。活字屋では、よく出る言葉は「大出張」といって一まとめにしてありました。例えば、あいさつ状なら「申し上げます」とか「弊社」とか「敬具」とか。文字は部首別に仕分けてあって、名前や住所を入れる場合は、数千ある活字の中から文字を「拾う」んですよね。そうした活字を拾う職人のことを「文選工」と呼びます。

「活字」が収納されている板を棚から取り出す中村さん

取材者
これだけ多くの活字の中から、探している文字を見つけ出すのは大変ですね。スピーディーに拾えるようになるには、どれくらいの年数がかかるんですか?
中村さん
慣れるまでにかかる時間は、人それぞれですね。文選工によってやり方も違うし、先輩の職人が教えてくれるわけでもありません。新人は、先輩のやり方を盗み見て、活字の拾い方を学んでいくわけです。
昭和の初期とか戦後すぐくらいは給与体系も独特で、活字を1本拾うといくら、というふうに単価が決まっていたんですよ。だから、早く拾えば拾うほどお金になりました。当時の文選工というのは、すし屋の職人と同じ。より条件の良いところを探して、腕一本で印刷会社を渡り歩いていたんですね。

部首別に整頓され、並べられた活字。文選工は、この中から使用する活字を拾っていく

取材者
文選工特有の癖や職業病のようなものはありますか?
中村さん
これは先輩の職人から聞いた話ですが、昔は文字をたくさん拾わなくてはいけなくて、同じ棚へ何度も拾いに行く手間を省くために、活字を口にくわえて作業することもあったそうです。でも、鉛っていうのは体に良くないわけで、本当は口にしちゃいけないんですよ。それが原因で体を壊してしまうなんてこともあったようで。戦前くらいの話ですが、当時は口も使わなければいけないくらい忙しかったというエピソードなのでしょうね。

手作業ならではの技術のすごみ

取材者
活版印刷の時代、めったに見かけないような特殊な文字を印刷する場合はどうしていたのでしょうか?
中村さん
「作字」というんですが、活字を切り合わせて文字を作っていました。これができない場合は、専門の職人が木版を彫って文字を作っていましたね。「コマを彫る」といって、文字の高さも鉛の活字に合わせるんです。
取材者
木版になったことによって、印圧などが変わることはないんですか?
中村さん
「ムラ取り」といって、裏に紙を貼り、印圧を調整するんです。古くなった活字もムラ取りをすることがありますね。同じ活字を何回も使っているうちに表面がすり減って、文字が汚くなってしまうんですよ。
取材者
いろいろな工夫があるんですね。活字を拾った後は、レイアウトをする必要もあると思いますが、それも文選工が行っていたのでしょうか?
中村さん
植字工という専門の職人がいて、「組版」と呼ばれる作業を行っていたんですよ。今は、文字の間隔も余白もパソコンが全部計算してくれますよね。でも活版印刷の時代は、植字工が計算しながら組版していました。特に伝票など、けい線のあるものは計算が大変でしたね。

取材者
中村さんご自身は、文選と植字どちらが専門でしたか?
中村さん
どちらもやりました。大手の印刷会社では、文選工と植字工でチームを作って作業を行っていましたが、小さい会社では一人で完結することも多かったんです。
取材者
そうなんですね。活字を拾うこと、組版をすることのほかに、活版印刷ならではの特徴はありますか?
中村さん
活版印刷は紙を選ばないんです。プリンターに凹凸のある紙を入れると詰まってしまうと思いますが、活版なら和紙などにも印刷することができます。昔は、和菓子屋などの箱に巻くのし紙も活版で刷っていました。
活版印刷には手差しの機械もあって、それを持って大相撲の巡業に帯同する職人もいましたね。毎日、会場で星取り表を刷って、来場者に配るんですよ。

「凸凹しているのが活版の味」ではない?

取材者
現在、「中村活字の名刺」は、名刺にこだわる方にとても人気が高いとお聞きしました。どのような職業のお客様が多いのでしょうか?
中村さん
フリーランスのフォトグラファーやライター、編集者の方が多いです。昭和の時代は、名刺は大量に配るものだったので、「ただ刷ればいい」という考え方が主流だったんです。今は「名刺は自分の顔」というふうに考えている方が多い印象です。
取材者
注文を受けるときは、お客様とコミュ二ケーションを取りながら、どんな名刺にするか決めていくんですか?
中村さん
そうですね。対面でコミュニケーションを取りながら進めていく場合もあるし、メールのみのやりとりの場合もあります。私個人としては、できれば対面で話しながらやりたいですね。

取材者
直接会って作るのと会わずに作るのとでは何か違いがある?
中村さん
ありますね。お客様と向き合って何度もやりとりするうちに、名刺1枚に対しての思い入れが強くなるんですよ。一緒に作り上げたという達成感があるんですよね。
取材者
なるほど。中村さんにとって、きれいな「刷り」とはどのような仕上がりのものを指すのでしょうか?
中村さん
きれいな仕上がりだと感じるのは、フラットに印刷できたものですね。でも今、活版印刷というと、印圧が強くて、触ると表面の凹凸がはっきりしているようなイメージが強いと思うんです。良かれと思ってフラットに刷ったら、お客様から「これは求めていた活版じゃない」と言われたこともあります。
取材者
なるほど。確かに凹凸がはっきりしているのが、活版印刷の特徴だと思っていました。
中村さん
違うんですよ。印刷物なんだから、フラットに刷るのが当たり前。「これは活版じゃない」と言われたときはショックでしたね。
取材者
最近では若い人を中心に、あらためて活版印刷に注目されているように感じます。味わいがあっておしゃれというのが、人気の理由のようですね。
中村さん
女性のお客様ができあがった名刺を見て「かわいい」とつぶやいたときは、驚きました。「なるほど、そんな感性があったのか」と(笑)。そういう価値観は私としても、とても新鮮です。

店頭でも、実際に「テキン」と呼ばれる印刷機を使って活版印刷を体験することができる

取材者
活版印刷の一番の肝となるのは、どのようなところでしょうか?
中村さん
余白でしょうね。活版印刷には「余白の美」というものがある。1ミリの余白、0.1ミリの余白でも、仕上がりの雰囲気がガラリと変わったりします。名刺も、情報がぎっしり並んでいるより、余白がある方が美しく仕上がりますよ。活版に興味を持った人には、ぜひそういった美しさを感じていただきたいです。

株式会社中村活字

1910年、中央区銀座2丁目に創業。名刺の印刷などを中心に、印刷の主流が活版からオフセット、デジタルへと移り変わった現在も活版印刷の文化を守り続けている。

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