2018年 9月

なつかしのオフィス風景録

百貨店の「顔」だった? 老舗百貨店に聞く「エレベーターガール」のお仕事事情

現代からはなかなか想像できない、過去のオフィスにまつわる風景や、仕事のあり方を探る「なつかしのオフィス風景録」。第11回は、これまでとは少し目線を変え、現代ではあまり見かけなくなったなつかしい職業にスポットライトを当てます。今回は、1929年に日本で初めて「エレベーターガール」を採用した松坂屋上野店様を取材。広報担当の藤井庸子さんに、エレベーターガールが誕生した背景やその仕事内容など、さまざまなお話を伺いました。

エレベーターの改良に伴い「昇降機ガール」が誕生

取材者
松坂屋上野店は1929年に、日本で初めてエレベーターガールを採用したそうですね。エレベーターガールが誕生した背景を教えてください。
藤井さん
松坂屋では、もともと男性がエレベーターを運転していました。当時のエレベーターは手動式で、止め方も難しく、扉の開閉も手動で行っていました。現代のものより操作がもっと複雑だったのではないかと思います。松坂屋上野店は、1923年の関東大震災の際に建物全体が焼失。その後、再建が進み、1929年に今の本館部分が完成しました。その際に「水平停止開閉式」という最新のエレベーターが導入され、操作しやすくなったんです。エレベーターガールが初めて登場したのはそのタイミング。当時は「昇降機ガール」と呼んでいました。
取材者
当時の女性の社会進出に対して、松坂屋は積極的に取り組んでいたのでしょうか?
藤井さん
そうですね。エレベーターガールのほかにも、お客様送迎用バスの車掌を女性に任せてみるなど、いろいろと先進的な取り組みを行っていたようです。
取材者
初代のエレベーターガールは、どのように募集したのでしょうか?
藤井さん
社内で希望者を募ったようです。「女店員の中から希望者を募ったところ、皆やりたいといふ者ばかりで、その中から適当な人を選び練習させたものの由」と、当時の新聞には書かれています。

昭和20年代のエレベーターガールたち

取材者
募集条件はどのようなものだったのでしょうか?
藤井さん
当時の募集広告が残っていて、そこには「年齢14歳より30歳まで」と書いてあります。年齢以外では「尋常小学校か、高等小学校卒業以上の者」「市内に2名の保護者を擁すこと」という条件もあったようです。
取材者
14歳からOKだったというのは現代から見ると驚きですね! 給与や勤務時間については、どのような規定があったのでしょうか?
藤井さん
給与は、高等小学校を出た人が日給80銭、女学校まで出ていると1円5銭。店舗で働く女性社員と同じ水準だったようです。30分交代制という規定がありましたが、なかなか交代がスムーズにいかず、実際は40分程度で交代していたと記録が残っていますね。当時は、エレベーターの数も今より台数が多かったと聞いています。

意外にマルチタスク!? エレベーターガールの仕事

取材者
当時のエレベーターの操作方法は、どのような仕組みだったのでしょうか?
藤井さん
1929年当時とは多少異なると思いますが、1992年に入社されたエレベーターガールOGの方に聞いた話では、ハンドルが付いていて、右へ回すと上昇、左へ回すと下降、真ん中に戻すと止まる仕組みだったそうです。足元にもボタンがあって、満員になるとそれを踏んで知らせていたようです。
取材者
エレベーターの操作以外に、エレベーターガールが行っていた業務はありますか?
藤井さん
単純な操作だけでなく、お客様が指定した階数を暗記しなければならないし、各階に到着するたびに、フロアに出て呼び込みを行っていたそうです。乗りそびれる人がいないように、しっかり気を配っておく必要があったんですね。
1936年には『松坂屋読本 接客の巻』というマニュアル本が作られました。そこには「次は6階でございます。6階には◯◯がございます」など、フロア案内の口上についても書かれています。エレベーターを操作しながら、お客様が指定した階数を覚えて、フロア案内をして……。意外とマルチタスクな仕事ですよね。
取材者
特に大変だったのはどのような点でしょうか?
藤井さん
先ほど話に出たOGの方にお話を聞いたところ、お客様に言われた階数を覚えるのが特に大変だったとおっしゃっていましたね。一日に何往復もするので、時には混乱してしまうこともあったそうです。「3階は指定されたかな?」と記憶がおぼろげだったら、「3階、御用ございませんか?」とさりげなく聞いて乗り切っていたとか。運転にもうまい下手があって、急に停止させるとエレベーターが揺れることもあったようです。
取材者
職人的なスキルが必要な仕事だったんですね。松坂屋上野店では、いつまでエレベーターガールを置いていたのでしょうか?
藤井さん
2006年4月に本館を改装するまで常駐していました。改装オープン後も、エレベーターが混雑するような日は乗っていたそうです。完全に廃止されたのは、2007年ですね。上野店のエレベーターは改装前の2006年まで手動式だったんですよ。

現在の一階エレベーター乗り口。扉は当時の趣のまま残っている

取材者
割と最近まで、昔ながらのエレベーターが残っていたんですね。
藤井さん
「手動式のエレベーターはあまり見かけないので珍しかった」と、OGの方もおっしゃっていました。完全自動式になり、常連のお客様からは「残念だ」という声もあったようです。
取材者
昔から乗り続けてきた方にとっては、名残惜しかったのでしょうね。松坂屋上野店では、手動式エレベーターへのこだわりのようなものがあったのでしょうか?
藤井さん
お客様からの評判が良く、店舗運営にも支障がなかったので、変えようという話が上がらなかったのではないでしょうか。でも、昔からの手動式エレベーターを使い続けていましたので、経年劣化が進んでいました。そこで、2006年の改装の際に、新しい機種を導入することが決まったんです。歴史のあるエレベーターなので、意匠だけでも残したいという声が社内で多く上がり、1階のエレベーターの扉や表示板は、当時のまま残しています。

当時の趣を残しているエレベーターの表示板

エレベーターガールは、少年にとっても憧れの存在?

取材者
2006年までの間に、エレベーターガールの制服にも移り変わりはありましたか?
藤井さん
まだ和装が一般的だった時代から、エレベーターガールの制服は洋装でした。ちなみに1933年に、松坂屋銀座店が日本で初めて女性店員の制服を一斉に洋装化したんです。そこから2006年までの間に、幾度も制服デザインが変わりました。昭和の頃は、ニナ・リッチやギ・ラロッシュなど世界的なブランドにデザインを依頼したこともあったようです。トレンドに合わせて、ミニスカートに白いブーツなんて時代もありました。
取材者
先ほど、エレベーターガールOGの方に実際にお話を伺ったことがあると仰っていました。お話をお聞きした中で、印象に残っているエピソードはありましたか?
藤井さん
エレベーターが大好きな男の子が、頻繁に遊びに来ていたと聞きました。ちょっと目を離した隙にハンドルに手を伸ばそうとするので、ドキドキしていたそうです(笑)
取材者
エレベーターボーイを目指していたのかもしれないですね(笑)
藤井さん
ほかにも、毎日足を運んでくださるような常連のお客様も多く、朝昼晩、食品を買いにくるお客様から、「今日は何を食べたらいいかしら?」と相談されることもあったとか。
取材者
お客様との関係が、それだけ密だったということですね。
藤井さん
百貨店は、地域によってお客様の特性が異なるんです。上野は特にデイリー性が強く、毎日いらっしゃるようなお客様も中にはいらっしゃいます。子どもの頃から来ていた方が、大人になり、自分の子どもを連れてくるようになることも。エレベーターガールは、百貨店の玄関口に立ち、そういったお客様を温かくお迎えする役割も担っていたんです。
取材者
お客様もスーパーを利用するような感覚で、気軽にいらっしゃるのかもしれませんね。
藤井さん
そうですね。テナントごとのおもてなしではなく、百貨店全体としてお客様をおもてなしする。それが百貨店ならではの接客の持ち味だと思います。

取材者
松坂屋上野店にとって、エレベーターガールはどのような存在だったと思いますか?
藤井さん
松坂屋だけではありませんが、百貨店というのは、時代や文化をリードしてきた場所だと私は思います。女性店員の制服をいち早く洋装化したり、「お子様ランチ」を開発したりしたのは、その好例です。エレベーターガールもまた、新しい文化を作っていくという百貨店の姿勢を示す、象徴的な存在だったのではないでしょうか。
またエレベーターガールについて調べていると、女性の社会進出が盛んになり始めた昭和初期から、現代に至るまでの大きな時代の流れを感じます。エレベーターガールのように、新しい仕事に挑戦する女性の存在があり、その先に今の私たちの仕事がある……。そう考えると、同じ女性の立場から見ても、非常に感慨深いものがありますね。

松坂屋上野店

1768年、名古屋の呉服小間物問屋・伊藤屋が上野の松坂屋を買収し、「いとう松坂屋」と改称。1917年に洋風4階建ての新本館が完成するも、1923年の関東大震災で焼失。1929年に本館を新築し、同年4月に日本初といわれるエレベーターガールを採用した。2017年にはリニューアルオープンを迎え、上野の地で長きにわたり営業を続ける老舗百貨店。