2018年10月18日公開

【連載終了】なつかしのオフィス風景録

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携帯電話もパソコンもない、昭和の営業マンのお仕事事情はどんな感じだった?

現代からはなかなか想像できない、過去のオフィスにまつわる風景や、仕事のあり方を探る「なつかしのオフィス風景録」。第12回のテーマは昭和の営業マンのお仕事事情。
1909年の創業以来、封筒や便せん等の製造・販売を行ってきた老舗文具メーカーの菅公工業株式会社様を取材。入社後30年以上にわたり営業職を勤め上げてきた、東日本統括マネージャーの田口信夫さん(写真右)と、本社第二営業部元課長の佐藤秀雄さん(写真左)のお二人にお話を伺いました。

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3年通って名前を呼んでもらえたときのうれしさ

取材者
お二人は、菅公工業に入社されて何年目でしょうか?
佐藤さん
私は今年でもう40年になります。大学を卒業した後、新卒で入社しました。
田口さん
自分は中途入社ですね。ここに入る前はスーパーで仕事をしていたんですが、休みが少なく、とにかくキツかったんです。子どもも生まれたし、ちゃんと土日に休みのある仕事がいいなと思って、転職しました。確か27歳の時だったから、1982年ごろだと思います。
取材者
お二人とも入社当時から営業職をされていたのでしょうか?
佐藤さん
そうですね。うちは昔から飛び込み営業などは少なく、ルート営業がメインで。私の場合は問屋さんのところを回った後、小売店を回って、1日だいたい5~6軒の取引先を回るという感じでした。
取材者
当時はどんなことを心掛けて営業に取り組んでいましたか?
田口さん
一番は、信用を作ることですね。
佐藤さん
何だかんだいって、やっぱりお客様とのコミュニケーションが大切です。
田口さん
「あいつはきちんと約束を守るな」とお客様からの信用を得るまでに、最低でも3年くらいはかかる。最初は顔も覚えてもらえず、1年くらい通ってようやく「菅公工業か」と社名を覚えてもらえる。3年通ってやっと「佐藤か」「田口か」と名前で呼んでくれるようになる。そこまでの関係を築くには、こちらもとにかく忍耐が必要です。だけどやっぱり、1年目なんかはつらかったですね。
佐藤さん
顔を見るや「何しに来たんだ?」って言われることもしょっちゅうでしたから。
田口さん
何しに来たって、注文を取りに来たに決まっているのにね(笑)。でも、そうやって向こうもこちらを試していたんだと思います。自分の名前を呼んでもらえるようになると「認められた」という気がしましたね。

ビジネスでも人と人とのつながりがとりわけ大事だった

取材者
仕事の中で苦労されたことといえば、どんなことですか?
田口さん
いろいろなタイプのお客様がいたので、それぞれの人となりを見極めるのには時間がかかりました。商品を薦めたときに「これはいらない」と言われたから、仕方なく引っ込めると「あんた、やる気がないね」と言ってくるお客様もいる。その一方、粘り強く薦めると「しつこいよ」と怒り出すお客様もいる。付き合いが浅いころは、お互いの腹を探り合うような部分もありましたね。
佐藤さん
その分、お薦めした商品の売れ行きがいいと「あの商品はよく売れたよ」って喜んでもらえる。うちの商品でいうと、結婚式用の金封なんかはよく売れましたね。
田口さん
毎年文具メーカーが、新学期に向けて行う展示会というのがありまして。1~2月とか、9月くらいに開催されます。文具屋さんの主人とか小売店の店主がその展示会に来て、商品を注文して帰るわけです。ですから、各メーカーの営業マンにとっては大事な営業の場にもなる。
お客様の中には、ブースまで来たのに顔見知りの営業がいないと「◯◯さんはいないの? じゃあまた後で来るね」っていう人もいて。うちの商品であれば、別に誰に注文しても同じなんですけど、「どうしても自分の担当者を通して頼みたい」という人は多かったですね。
佐藤さん
それくらい商売のうえでも、人と人のつながりが大切にされていたのだと思います。
田口さん
昔は、ちょっと田舎の営業先なんかに行くと、お茶や漬け物を出してくれたり、お土産に野菜とかお米を持たせてくれたり、「お前、お昼食ったのか?」なんて聞かれて、「まだです」と答えると「じゃあ、メシ食いに行くか?」なんて言われたり。
佐藤さん
今だとあまり考えにくいかもしれませんね。もう少しビジネスライクな付き合いが普通でしょうから。
田口さん
最近だと「これ持っていって」なんて言われても、多くが返品の商品だったりしますから(笑)。

アナログ時代の仕事の苦労と楽しみ

取材者
お客様へのアポイントメントはどのようにして取っていましたか?
田口さん
自分の場合はハガキですね。出張案内といって「何月何日にお邪魔します」という内容を書いたものを、月の初めに各取引先にお送りするんです。今でもFAXで送っています。社内でもいまだに出張案内を出しているのは、自分だけだと思いますけどね。

現在でも田口さんがお客様に出している出張案内

取材者
カーナビやスマホのマップ機能などがなかった時代は、初めての営業先にはどのようにして行っていましたか?
田口さん
メモと地図が頼りでしたね。昼間は「あそこに郵便局がある」「小学校がある」と目印になる建物も見つけやすいのですが、田舎の方なんかは夜に行くと真っ暗だから、できるだけ遅い時間にならないよう気をつけていました。
佐藤さん
引き継ぎのときに、先輩が道順を大ざっぱにしか教えてくれなくて困りました(笑)。「ここら辺に郵便局があるから、左に曲がってだいたい500メートル行ったら、その先を右ね」とかアバウトな説明で。
田口さん
どうしても分からないときは、近くのお店に駆け込んで聞いていましたよ。それでもたくさん迷いました。一度、遠方の営業先へ出張で行ったとき、自分の宿への帰り道が分からなくなってしまって。街灯も少ないし、真っ暗な道を数時間ぐるぐる歩き続けました。あの時は泣きたくなりましたね。
取材者
今だと道に迷ってもスマホで調べると一発ですが、昔は道を調べるのも一苦労だったのですね。
田口さん
だけど、それはそれで結構楽しいんですよ。例えば昔は、資料を作るときなんかも、集計用紙に手描きで書いていました。定規を使って、グラフなんかも全部手描きです。今みたいに決まったフォーマットがあるわけじゃないし、自分で好きにレイアウトできてこれが意外と楽しいんです。グラフを描くときも、円グラフにしようか、棒グラフにしようか、なんてね。
取材者
営業マンの目から見て、登場したときに「これは便利だな」と感じたアイテムはありますか?
田口さん
一番は携帯電話ですね。かばん式の巨大な携帯電話の後に、コードレスフォンみたいな機種が登場したのは印象に残っています。アンテナを伸ばさないと使えないし、今の携帯電話と比べても大きかったけど、「これは便利だな」と。出先で公衆電話を探す必要がなくなったのは大きかったですね。そこから考えると、今のスマホは夢みたいですよね。デジカメとパソコンがあの中に入っているようなものですから。

田口さんが仕事の中で愛用してきた歴代の手帳

競合メーカーとも友達みたいな付き合いだった

田口さん
後は交通面も便利になりましたよね。昔の高速道路は料金所の人に現金を手渡しだったけど、今はほとんどがETC。そういえば、一昔前には「ハイウェイカード」というのもありましたね。高速道路専用のプリペイドカード。
佐藤さん
高速に乗ることが多かったから、よく使っていました。後、昔はある場所に行こうと思っても、1本しか道がなかったりするから渋滞するわけです。今は道を選ぶにもいろいろと選択肢があるから便利ですよね。
田口さん
自分は長距離移動のときは、高速のサービスエリアでよく仮眠を取っていたんです。今でも覚えているんですけど、ある日そうやって寝ていたら、車が激しく揺れ始めたことがあって「地震か?」とびっくりして飛び起きたら、競合メーカーの営業マンが車を思いっきり揺さぶっていました。「こんなところでサボってるんじゃねえ」って(笑)。
佐藤さん
うちの営業車は目立つ外観でしたからね(笑)。でも昔はそんなふうに、メーカー同士の付き合いが結構あったんですよ。顔なじみも多かった。展示会の前日に、みんなで集まって懇親会をすることもありましたね。
取材者
競合メーカーなのに、一緒に懇親会を行うんですか?
田口さん
ライバルというより、同志に近い関係でしたから。
佐藤さん
同じような商品を扱っていても、互いに友達みたいな感覚で付き合っていました。今は、競合とのそういう付き合い方も減ったかもしれないですね。

営業の仕事で変わらないもの、変わってゆくもの

取材者
今でも記憶に残っている仕事のエピソードなどはほかにありますか?
田口さん
バブルの頃の話ですが、営業先の問屋さんから白紙委任状を渡されたときは驚きましたね。担当者に「君の好きに仕入れの数字を書いていいよ」と言われまして。半信半疑で数字を書いてみたんですけど、すんなりOKで、2トントラックに積みきれないくらいの商品を仕入れてくれたんです。
取材者
それはすごいですね……!
田口さん
バブルの頃の展示会では、商品が並んでいる棚を指差して「ここからここまでください」なんてお客様もいました。どの商品をどれくらい頼んだのか、お客様も分かっていなかったと思うんです。バブルの頃はそんな感じでも売れちゃっていたんですね。
取材者
佐藤さんは、何か印象に残っているエピソードはありますか?
佐藤さん
私はコツコツ地道な仕事のやり方だったから、語れるような面白いことってないんです(笑)。これということはなかったけど、ピンチに陥ったこともない。ただ営業の仕事をしていた35年間、取引先が1軒も倒産しなかったのはよかったことですね。
取材者
昭和と現代の営業の仕事を比べて、何か思うことはありますか?
田口さん
基本は同じですよね。お客様に自分を売り込んで、信頼関係を築く。そうじゃなければ、営業という仕事はいらないでしょう。メールを送って、サンプルを送って、お客様の方で判断してもらえばいいわけですから。でも実際にそういったビジネスの形は増えつつあると思うし、営業という仕事がこの先本当に必要なのか、必要ならばそれはどのような部分においてなのか、考えなければいけない時期に来ているのかもしれない。
取材者
営業という仕事自体が変化の時期に差しかかっている、と。
田口さん
例えば昔は、問屋さんの倉庫にある自社商品の在庫を、中に入って全部自分でチェックできていました。だけど今はメーカーに対して、倉庫内立ち入り禁止を言い渡す問屋さんも多くなっているんです。
佐藤さん
自分の会社の商品がそこにあるのに、見ることができないのは、少し寂しいものがありますね。
取材者
これまでの営業人生を振り返って、お二人が率直に思うところは何でしょうか?
田口さん
まあ、でもこの年になってあらためて振り返ると、何だかんだ面白かったですよ。
佐藤さん
私も楽しかったですね。自分の足で営業先を回って、売れたときが一番。売れずに会社に戻るときは「ガクン」と気落ちするし、それはつまらないものですよ。だけど売れたときは意気揚々と帰ってくる。それが一番いいですよね。

菅公工業株式会社

1909年創業。1947年に現在の社名へと改組・設立。東京都台東区に本社を持つ。自社ブランド「うずまき」をはじめ、封筒や便せん、書画用品、慶弔用品など、紙製品に大きな強みを持つ老舗文具メーカー。

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