2018年11月22日公開

なつかしのオフィス風景録

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家族の「幸せ」を確認する場所。老舗写真館に聞く昭和の写真事情

現代からはなかなか想像できない、過去のオフィスにまつわる風景や、仕事のあり方を探る「なつかしのオフィス風景録」。第13回となる今回は、いつもと少し目線を変え、現代ではあまり見かけなくなった仕事にスポットライトを当てます。テーマは昭和の写真館。1929年から東京・五反田で写真館を営んできた「岡崎写真館」の二代目店主・伊與田正志さん(写真右)と、息子さんである現三代目店主の伊與田彰さん(写真左)に、さまざまなお話を伺いました。

60年以上撮り続けても、撮影の時は緊張する

取材者
岡崎写真館は1929年創業ということですが、お店の歴史について教えてください。
正志さん
初代である私の父親は、22歳の時に愛知県岡崎市から上京し、写真館で見習いとして働き始めました。26歳の時に独立して、故郷の名を冠した「岡崎写真館」を開業したんです。当時は今の店舗の真向かいに店を構えていたそうですが、戦後になって現在の場所に移転して以来、ずっとこの場所でやっています。
取材者
昭和の昔から写真館を経営されているということですが、デジタルカメラなどが普及する以前、「写真館」とはどのような場所だったのでしょうか?
正志さん
誰もがデジタルカメラや携帯電話などのカメラを持っている今と違って、当時は、写真を撮る時は写真館へ行くのが当たり前でした。特に忙しい書き入れ時はお正月。美容院できれいに髪を結ってもらい、晴れ着を着て家族写真を撮る人たちが多かった。もちろん、成人式や卒業式などの節目に撮影にいらっしゃるご家族も多かったです。昔は予約制ではなかったので、混んでいる時は数時間お待ちいただくこともありました。昔のお客様が久々にいらっしゃって、「久しぶりに撮ってちょうだい」なんて言われるとうれしいですね。
取材者
現在でも、正志さんご自身がお写真を撮られることがあるんですね。
正志さん
今でも私に依頼があれば撮りますよ。長年やっていても、写真を撮る時はいまだに緊張します。歌手の方が「いつまでたっても舞台に立つ時は緊張する」なんてよく言いますけど、それと同じですね。
取材者
今、写真館にいらっしゃるのは、どのようなお客様が多いですか?
彰さん
大きく2パターンありまして、一つは受験や就職活動用の写真を撮りに来られる方。プロの手で印象の良い写真を撮ってほしいという学生さんは多くいらっしゃいます。もう一つ多いのは、家族写真を撮りに来られる方ですね。
写真館というのは「家族の幸せ」を確認しに来られるところだと思っているんですよ。家族写真を写真館で撮ると、撮影する時間そのものも思い出になる。父の場合は今でもフィルム撮影で、基本的に一発勝負でパッと撮ってしまうのですが、そのためには家族の一体感みたいなものをどうやって出すか、事前の雰囲気づくりが重要になります。そうやって、撮る側と撮られる側が呼吸を合わせて撮影することで、自分たちだけでは撮れない味わい深い写真になるのだと思います。
取材者
フィルム撮影で苦労するのは、どのような時ですか?
正志さん
フィルムにほこりが付着しないよう、そっと扱わなければならない時ですね。ほこりが付着すると、写真を焼いた時に黒く映りこんでしまうんです。特に、被写体の顔の部分にほこりが付着している時は、修正するのに骨が折れるんですよ。
取材者
フィルム撮影でも、後から修正することができるんですか?
彰さん
フォトショップなどのソフトで行うようなレタッチと、基本的には同じですね。現像した写真を、10倍くらいの拡大鏡でのぞきながら、針のように先のとがった道具を使って修正していくんです。
正志さん
昔は男性のヒゲを取ったり、女性の肌をきれいにしたりする修正はよくやっていました。大きい写真は、顔の面積が大きいから修正しやすいですが、証明写真なんかは非常に緻密な作業になります。
彰さん
今はパソコンでできますけど、昔は手作業でやっていたので、修正も相当な手間だったと思いますよ。手作業での修正ができる人は、今はかなり少なくなっていると思います。

20代の頃の正志さんの写真。この写真にも手作業での画像加工が施されている。

結局、最初の1枚目が一番いい

取材者
正志さんは、いつごろから写真の仕事を始められたのでしょうか?
正志さん
20歳ごろから父の出張撮影に付いて、料理屋さんや結婚式場に行き始めましたね。学校などで専門的に写真の勉強をしたわけではなく、父のやり方を見ながら写真を覚えて、どんどん写して、どんどん焼いて、お客様にお渡しする。その繰り返しで仕事を覚えていきました。その時代はカメラが一般に出回っていなかったので、出張に行くと「先生」なんて呼ばれることもありました。
しかし、きちんとした写真を撮らなければ、次からはお呼びがかからない。背広にヨレがないか、ネクタイが曲がっていないかなど、注意深く観察して、一回ごとの撮影で完璧な写真を撮るよう努めていました。
取材者
デジタルと違って、フィルムカメラだと、どんなふうに写っているか出来上がるまで分からない緊張感もありますよね。
正志さん
そうですね。でも経験を積んでいくと、仕上がりのイメージも何となく分かるようになるんですよ。私の感覚だと、やっぱり1枚目が断然いいですね。しっかり撮ってもらおうというお客様の緊張感もあって、ピンと張りつめた仕上がりになる。2枚目以降は、ちょっと空気が緩んでしまう感じもあります。
取材者
過去に撮影を失敗してしまった経験談などはありますか?
正志さん
思い返すと、撮影で失敗したことはほとんどありませんね。やっぱり撮影する時は神経を張っていましたから。結婚式の時の大事な写真なんかは、現像できるまでは不安で夜も眠れないなんてこともありました。
ただし、お客様が写真を受け取りに来られた時に、まだ現像ができていないなんてことはたまにありました(笑)。うちは代金が仕上がってからの後払いだったので、怒られることは少なかったですけどね。その代わり、撮影したのにお客様が受け取りにいらっしゃらなくて、手元に残る写真も多かったですよ(笑)
彰さん
先日、7年くらい前に撮影した写真を取りに来られた方がいましたね。お子様の七五三の写真だったんですけど、「取りに行くのを忘れてた」って。受け取りに来られていない写真は全部残してあるので、店の奥から探し出して、お渡ししました。
正志さん
せっかく撮った写真ですし、「もしかしたら取りにいらっしゃるかも」と思うと、捨てられないんです。昭和の昔に撮った写真も、2階に山積みになっていますよ(笑)。40年くらい前の写真も残っています。
取材者
今お付き合いのあるお客様の中で、一番古い方はどれくらいのお付き合いになりますか?
正志さん
正確な数字は分かりませんが、昭和10~20年代くらいからお付き合いのあるお客様はいらっしゃいます。
彰さん
近所のお花屋さんで、4世代にわたって来てくださっているご家族もいますね。
取材者
写真を撮ってから現像する流れの中で、昔はよくやっていたけど、今はもうなくなってしまった作業などはありますか?
正志さん
そもそも暗室に入ること自体が、少なくなってしまいました。アナログ写真の時代、真っ暗闇の中で朝から晩まで作業をしていたのも、今ではいい思い出ですね。昭和の時代は、演出したい雰囲気に合わせて、フィルムも印画紙も薬品などもいろいろと使い分けていたんです。そういう楽しみがあったからこそ、長いこと写真を続けてこられたのかもしれません。
取材者
まさに「ものづくり」をしている感覚ですね。
正志さん
黒っぽい色調にしてみたり、淡い雰囲気にしたり、セピア調にしてみたり、いろいろと試しながら写真で遊んでいましたね。モノクロ写真の時代には、写真用の絵の具を買ってきて、色を塗ることもありました。「着物の柄をカラーにしてください」と注文された時は、本物の着物を借りてきて、それを見ながら塗りました。時間も手間もかかる割に、料金を取れる仕事ではないのですが、それでも楽しかったですね。

ガラス乾板撮影を行っている、国内でも珍しい写真館

取材者
彰さんがお店を継がれたのはいつですか?
彰さん
10年ほど前ですね。それまでは写真関連の大手メーカーに勤めていましたが、祖父と父が頑張って続けてきた写真館を閉じてしまうのはもったいないと、会社を辞めて跡を継ぐことに決めました。
取材者
彰さんはガラス板に被写体を写す「ガラス乾板撮影」という特殊な技法を復刻させたと聞きました。この技法は明治から昭和にかけて盛んだったそうですが、なぜ現代でガラス乾板をやることにしたのでしょうか?
彰さん
父は大判フィルムを得意としていますので、私も何か自分なりの試みを開拓したいと考えていたんです。そんな矢先、60年ほど前に祖父が使っていたガラス乾板用のカメラが出てきて、これは面白いんじゃないかと思いまして。現像の技術を習得するまでに5年ほど研究して、3年ほど前にサービス化しました。撮影用のガラス板は日本ではもう製造しておらず、ドイツから輸入しています。

「ガラス乾板撮影」のガラス板。

取材者
ガラス乾板撮影を行っている写真館は、ほかにもあるんですか?
彰さん
ネットでも調べてみたのですが、サービスとして提供しているところは、なかなか見当たらなかったですね。趣味で撮っている人はいるかもしれませんが。専用カメラとガラス板があれば、ほかの写真館でもできると思いますよ。ただし、ガラス板は落とすと割れやすい欠点がありますし、乾かすのに時間もかかるんですね。現像の際もほこりが付かないように注意しなければいけませんし、取り扱いが非常に面倒くさいんです。
取材者
それほど手間がかかるのに、復刻しようと思ったのはなぜでしょうか?
彰さん
ガラスは粒子が細かく、解像度など写真のクオリティも高くなるんです。10年くらい前までは、天体写真もガラス乾板で撮っていたと聞きます。また耐久性の強さも、ガラス乾板の特長ですね。落とすと割れてしまうのが最大の弱点ですが、割れない限りは2,000年先まで持つともいわれているんですよ。

アナログとデジタル、両方の良さに目を向けていく

取材者
現代はデジタルカメラやスマホで手軽に写真を撮れる時代でもあります。長年、写真に向き合い続けたお二人の思いはいかがでしょうか。
正志さん
20年ほど前でしょうか。「一気にデジタルの波が来たな」というタイミングがあって、あの時は、ちょっとショックでしたね。カメラメーカーからもカメラやフィルムなど「この製品はなくなりました」「この製品も製造中止です」と、毎日のようにFAXが送られてきました。長年使っていた製品がどんどんなくなっていき「これで写真館の商売もおしまいかな」と本気で思いました。
彰さん
長年外注していたプリント屋さんも、急に畳んでしまいましたね。印画紙が変わり、なかなか思いどおりの色が出せず苦戦されたようです。
正志さん
だけど、時代が変われば技術も進化するし、嘆いていてもしかたない。今はデジタルが主流だけど、これからまた新しい技術が出てくるでしょう。町の写真館としては、そういう技術も取り入れていかなきゃいけませんね。
彰さん
町医者のように、幅広いサービスを提供できることが、町の写真館の存在意義だと思っています。アナログにはアナログの、デジタルにはデジタルの良さがありますし、お客様に求められる限り、ハイブリッドで続けていこうと考えています。
取材者
最後に、あえて写真をプリントして残すことの良さとはどのようなところでしょうか?
彰さん
デジタルというのは、実は耐久性・保全性に弱点があるんです。データで残しておいても、急にハードディスクやメモリーカードが壊れてしまう可能性がありますから。思い出の写真は、データだけでなく、紙に焼いて保管しておくのがいいのかなと思いますね。

岡崎写真館

1929年、品川区・五反田で創業。証明写真や記念写真、プロフィール写真を中心に、デジタル撮影はもちろん、最近では少なくなった大判フィルム撮影や、国内でも珍しいガラス乾板撮影など、さまざまな撮影メニューを提供している。

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