2016年11月15日公開

ITここに歴史あり

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印刷と出版を変革したPostScript

執筆:加山恵美(フリーランスライター) 編集・文責:株式会社インプレス

日本語のPostScriptフォントが登場して、日本でもDTPが普及し始めました。しかし、使える漢字の数が少ないなど、課題も残っていました。今回は、その課題を解決するために登場した「InDesign」と「OpenTypeフォント」と、PostScriptの技術を受け継いだ次世代の技術について見ていきましょう。

1. DTP時代の基礎を作ったPostScript

現在、パソコンで制作した図版入りの文書を印刷すると、ディスプレイで見える編集画面とほぼ変わらない出力結果が得られます。これは、ソフトウェアベンダーとハードウェアベンダーが積み上げてきた努力の結果です。そして、その原点には「PostScript」があります。

PostScriptは1984年に米Adobe Systems社が発表したものであり、同社にとって最初の製品でした。今では「Photoshop」や「Illustrator」といったソフトウェアで世界的企業に成長したAdobe Systemsですが、出発点にはPostScriptがあるのです。

では、PostScriptとはどういうものなのでしょうか。コンピューターがプリンターに印刷を指示するときに使うコンピューター言語です。「ページ記述言語」とも呼びます。コンピューターは、「この位置にこういう文字列を印刷してください、フォントはこれこれで、大きさはこれくらい」という指示をプリンターに出します。この指示に使うのがページ記述言語です。プリンターはその指示を解釈して、インク(トナー)を置く位置を決めて印刷します。

PostScript登場以前もページ記述言語はありました。しかし、プリンターメーカーが独自に開発したものであり、使用するプリンターメーカーが変われば、ページ記述言語も変わるのが普通でした。その結果、使用するプリンターメーカーが変わると、同じ文書を印刷しても見た目が異なるということがありました。そのような時代に登場したPostScriptは、プリンターメーカーが開発したものではないという点で異色の存在でした。

そのPostScriptに目を付けたのがApple Computer社(当時)の共同設立者の一人であるSteve Jobs氏です。当時Apple Computerは、Macintosh用の初のレーザープリンター「Apple LaserWriter」(写真1)の開発を進めていました。Jobs氏は、PostScriptがどのプリンターメーカーにも依存していないことに注目して、Apple LaserWriterのページ記述言語としてPostScriptを採用しました。PostScriptの発展はここから始まったと言っていいでしょう。Apple LaserWriterは1985年に発売となります。

(写真1)Apple LaserWriter。PostScriptを採用した始めてのプリンター。この製品からPostScriptの歴史が始まった

アドビシステムズ マーケティング本部 デジタルメディア マネージャー 岩本崇氏(写真2)は「(アドビシステムズは)まだベンチャーでしたね。ソフトウェアベンダーのメーカーに依存しない言語で、シンプルなライセンス形態が普及に寄与したのでしょう」と当時を振り返ります。アドビシステムズはApple Computerだけでなく、プリンターメーカー各社にPostScriptとアウトラインフォント(PostScriptフォント)をセットにしてライセンス供給し、PostScriptは普及していきました。

(写真2)アドビシステムズ マーケティング本部 デジタルメディア マネージャー 岩本崇氏(写真:加山恵美)

Apple LaserWriterと並んで、PostScript普及を促進させたのは、米Aldus社が発売した「PageMaker」というMacintosh向けソフトウェアです。PageMakerはMacintoshのGUIを利用して、文章やイラストを自由に配置することを可能にしたソフトウェアです。現在、出版の世界で当たり前になっているDTP(Desktop Publishing)を始めて可能にしたのがPageMakerなのです。PageMakerはPostScriptデータを出力する機能を備えており、画面で見たままのものを印刷できるようになっていました。

その後、1987年にAdobe Systemsはグラフィックス作成ソフトウェア「Illustrator」を発売します。このソフトウェアもPostScriptデータを出力する機能を持っていました。同社はまた、1990年にフォトレタッチソフト「Photoshop」を発売します。これで、DTPに必要な環境がそろい、DTP時代が幕を開けました。DTP時代を支えているのがPostScriptと言っても過言ではないでしょう。

DTP時代が到来する前、出版物を印刷するときは紙台紙に文字の写植や図版の紙焼きを手作業で貼り合わせて「版下」を作り、それを製版カメラで撮影して印刷用フィルムを作成する「製版」という作業が必要でした。何人もの職人が関わり、時間も手間もかけて製版をしていたのです。製版は高度な職人芸の集大成でした。

そうした製版の世界をDTPが変えました。DTPは職人たちの手仕事が必要だった製版作業を、コンピューターのGUI操作に置き換えてしまいました。ところが、岩本氏は「“DTPはデザイナーの仕事を増やした”と言う人もいます」と指摘します。どういうことでしょうか。

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2. PostScriptとDTPの前に立ちはだかった「日本語の壁」

パソコンで印刷向けデータの作成を可能にするDTP(Desktop Publishing)の登場により、職人の手作業による製版作業がなくなりなり、その代わりにデザイナーに仕事が集中するようになりました。文字や写真を貼り合わせる作業はGUI画面上のマウス操作で可能となり、写植の作業はパソコン上での文字入力とフォント選択に変わるなど、かつて製版職人たちが担っていた作業はDTP時代に入ると全てデザイナーの仕事となったのです。

DTPが普及した大きな理由の一つとして、マウスとキーボードという入力機器と、マウスで自由に操作できるGUI(Graphical User Interface)が挙げられます。そして、これらの条件を全て満たしていたのが、Apple Computer社(当時)のMacintoshです。時代がDTPに移りゆく中、デザインや画像処理を仕事とするクリエイティブな人たちがこぞってMacintoshを購入しました。「マックのおしゃれなイメージはデザイナーさんたちに使われていたところも大きいですね」と語るのはアドビシステムズ マーケティング本部 デジタルメディア マネージャーの岩本崇氏(写真3)です。

(写真3)アドビシステムズ マーケティング本部 デジタルメディア マネージャー 岩本崇氏(写真:加山恵美)

こうして、アメリカでは本格的にDTP時代に突入していきました。しかし、日本でDTPを実現するには大きな壁がありました。それは日本語ならではの問題です。例えば縦書きなどは、英語では考えられないことです。読みにくい漢字に、小さくルビを付けるということも難しいことでした。この問題は日本におけるDTP普及の課題として、アドビシステムズだけではなくマイクロソフトなどソフトウェアベンダーが文部科学省と一緒に検討を重ねていきました。

そして最大の難問が日本語の文字でした。アルファベットの大文字と小文字、そして数種の記号だけでほとんどが済んでしまう英語とは異なり、日本語にはひらがな、カタカナに加えて漢字まであります。しかも漢字の数は、日常良く使う「常用漢字」に限っても2000文字以上、難読人名に使う漢字なども入れていけば、数えきれないほどになります。

文字の問題はそのまま「フォント」の問題と言えます。日本語によるDTPがようやく始まったという頃は、まだ使えるフォントが限られていました。加えて高価でした。いくらパソコン上で原稿が作成できるとしても、ごく少数のフォントしか使えないのでは実用的ではありません。岩本氏は「フォントは文字に表情を与えてくれる。表情の細かい使い分けができないままだったら、DTPは印刷に使えるものにはならなかった」と語ります。

日本語フォントの問題を解決するために、アドビシステムズは日本の写植メーカーに「これからはDTPの時代です、その要となるPostScriptフォントを売りましょう」と協力を求めました。米本社から社長のCharles Geschke氏(当時:現在は会長)が来日し、自ら写植メーカーを口説いて回るほどの力の入れようでした。

そこで動いたのが、写真植字機から長い歴史を持つモリサワです。モリサワは早い段階からアドビシステムズと日本語PostScriptの共同開発に取り組むなど、長い付きあいがありました。そのためか、Geschke氏の訴えにモリサワの森澤嘉昭社長(当時:現在は相談役)が応えたのです。その後は社長が号令をかけて、同社の持つ写植データをPostScriptフォントにして発売していきました。

こうして、日本にもDTP環境が普及していき、1990年代末には日本にもDTP環境が根付きました。当時、MacintoshのOSは「Mac OS 9」で、「Illustrator」のバージョンは8、Photoshopはバージョン5でした。そして、その頃最大のシェアを誇っていたDTPソフトウェアは米Quark社(当時)の「QuarkXpress 3.3」でした。

前回説明したように、DTPの歴史の幕を開けたのは米Aldus社の「PageMaker」でしたが、後発のQuarkXpressはより精密な組版を可能とし、いち早くカラーに対応するなど積極的な機能改善でDTPソフトのトップに上り詰めていました。しかし岩本氏は「当時、日本語でDTPはできていましたが、使える漢字は数千字程度。日常生活には困らないかもしれないが、ビジネスとして出版を手掛ける業者にとってはまだまだ十分ではありませんでした。また、世界中のユーザーはより高い精度で組版ができ、より自由にデザインできる環境を求めていました」と語ります。

このような声に応えて、QuarkXpressからシェアを奪おうとAdobe Systemsは全く新しいDTPソフトウェアを開発します。それが「InDesign」です。

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3. 時代はPostScriptからPDFへ

極めて高い組版の精度と、自由なレイアウトを実現するために、米Adobe Systems社は全く新しいDTPソフトウェアを開発します。それまでAdobe Systemsは米Aldus社から買収した「PageMaker」を主力DTPソフトウェアとして売り出していましたが、QuarkXpressに奪われたシェアを取り戻せないでいました。既存のPageMakerをいくらバージョンアップしても、状況は何も変わらないと考えた同社は、新しいソフトウェアを一から開発することにしたのです。それが「InDesign」です。

InDesignは1999年にアメリカでデビューしました。しかし日本語版のデビューは2001年まで待たなければなりませんでした。縦書き、ルビ、均等割付など、日本語独自の高度で複雑な機能を実装するために時間がかかったのです。

アドビシステムズ マーケティング本部 デジタルメディア マネージャー 岩本崇氏(写真4)は「InDesignでは、最初のバージョンから日本語のきれいな組版を実現することにかなりこだわっていました。アメリカ本社で開発していましたが、開発チームには日本語対応の特別チームを作って日本語対応の機能を開発していました。そのチームには日本人よりも日本の組版に詳しい担当者がいました」とInDesign日本語版について語ります。

(写真4)アドビシステムズ マーケティング本部 デジタルメディア マネージャー 岩本崇氏(写真:加山恵美)

現在、「InDesign」はDTPソフトウェアの標準としての地位を確固たるものにしていますが、すぐにトップシェアを取れたわけではありませんでした。岩本氏は初期のInDesignについて「国語の成績は良かったのですが、体育が良くありませんでした」と苦笑いしながら例えます。これは「動きが遅かった」ということです。実用的な性能に到達するにはパソコンの性能進化、Mac OS 9からMac OS Xへの移行、製品の進化が必要でした。その過程でアドビシステムズは協力業者との関係を深めて、現在の地位を築いていきました。

InDesignがDTPの標準となったのは、バージョンが「CS3」の頃です。ちょうどApple Computerが、MacintoshのプロセッサーをPowerPCからIntelプロセッサーに移行させているところでした。Adobe Systemsは、InDesign CS3発売当初からIntelプロセッサー向けに最適化されたプログラムを投入し、高性能なIntelプロセッサーの能力を活用できるようにしました。

Adobe SystemsはInDesignの開発に並行するように「OpenType」という新しいフォントの開発を進めていました。前回説明したように、かつてのPostScriptフォントには、漢字を数千字しか扱えないという問題があり、OpenTypeでは、扱える文字の数を増やしていきました。最新のOpenTypeフォントでは、2万5000字ほどの漢字を扱えるようになっています。

OpenTypeフォントが登場した頃、フォントメーカーが「一定額を支払えば、多様なフォントを1年間使い放題」という形式でフォントの提供を始めました。アドビシステムズが「Creative Cloud」シリーズで採用している「サブスクリプション制」です。前回登場したモリサワも「MORISAWA PASSPORT」(写真5)というサブスクリプション制を用意しています。

(写真5)「MORISAWA PASSPORT」サブスクリプションのパッケージ。フォントのサブスクリプション制が始まり、デザイナーは低いコストで多種多様なフォントを使えるようになった

フォントのサブスクリプション制が始まり、デザイナーは低いコストで多様なフォントを好きなように使えるようになりました。かつて、PostScriptフォントには「高い」という評判が付きまとっていましたが、サブスクリプション制の登場で、フォントにかかるコストが下がり、気軽に使えるようになりました。

現在、PostScriptの最新バージョンは「PostScript 3」です。しばらく新版は出ていませんが、DTPの現場や印刷会社のプリンターで現役として活躍しています。しかし、最近は新しい技術に移行しつつあります。それがPDF(Portable Document Format)です。

PDFは、PostScriptの技術を応用して開発したもので、今ではインターネット上で文書をやり取りする時の標準的な文書フォーマットの一つとなっています。OSやデバイスが変わっても同じレイアウトで参照、印刷ができ、ファイルサイズが小さいことから、標準的な地位を得ることができたのでしょう。またPDFには、文書中の文字列のコピーを禁じる機能など、セキュリティを強化する機能も備えています。

「InDesign」は、製版用データとしてPostScriptだけでなく、PDFも出力します。製版で版下となる原稿データを印刷するとき、RIP(ラスタ画像化処理システム)を経由します。旧来型のものはCPSI(可変型PostScript翻訳システム)と言い、PostScriptに合わせた形式でした。

しかし今ではPDFに合わせたRIPが出てきています。それがAPPE(アドビPDF出力システム)です。PostScriptとCPSIを継承し、最新のDTP環境やPDF形式に合わせたものです。

PostScriptはアドビシステムズの最初の製品であり、今でも脈々とアドビシステムズ製品のDNAのように継承されています。グラフィックやDTPに与えた影響は計り知れません。

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