【お知らせ】がんばる企業応援マガジン最新記事のご紹介
1. 製品ではなく、お客様に目を向けて開発しよう
IBMというグローバル企業がノートパソコンを日本で開発することになった背景について、レノボ・ジャパン 取締役副社長 内藤在正氏(写真1)はこう話します。「日本の大和研究所で液晶ディスプレイやPCチップセット、藤沢研究所で小型ハードディスクなど、日本ならノートパソコンのためのデバイスや技術がまかなえたからなのです」
(写真1)レノボ・ジャパンの取締役副社長を務める内藤在正氏。IBM時代からThinkPad開発に携わってきた「ミスターThinkPad」 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)
ノートパソコンはコンピューターの部品をコンパクトに集約した製品です。AC電源ではなくバッテリーで駆動させるところも、それまでのコンピューターとは異なる仕様です。日本IBMには研究所ほか協力企業の存在など、小型のパソコンを開発するための土壌がそろっていました。
最初に「ThinkPad」の名を冠した製品は1992年に発売された「ThinkPad 700シリーズ」(写真2)。業界初のTFTカラー液晶ディスプレイ(10.4インチ)とトラックポイントを搭載したモデルです。
(写真2)「ThinkPad」のブランドを冠した初の製品である「ThinkPad 700シリーズ」。写真はThinkPad 700C
今でこそThinkPadといえば丈夫なイメージがありますが、当初IBMは故障に悩まされていました。こぼれ話として内藤氏は「返ってくるものを見ると、ドアというドアが壊れていました」と言います。今はどのメーカーのノートパソコンを見ても「ドア」はほぼありませんが、当時は各種インターフェイス部分を未使用時にふさぐことができるような構造になっていました。これがことごとく壊れていたそうです。「結果的に『ないドアは壊れない』ということで、ドアは撤廃したのですけどね」と内藤氏は笑います。
製品を強化する過程では製品そのものだけではなく、試験体制も改良していきました。当初、試験は全て人間の手で行われていました。社内の人間であれば、製品がどのような構造をしているかをよく知っています。また高価な製品であることも。ちなみに、先述したThinkPad最初のモデルの価格は70万円台。価格と、開発時の苦労を知っている人では、乱暴には扱えないですよね。
「例えば開閉試験なら、社内の人間は負荷がかからないような場所をつかんで開閉してしまいます。落下試験なら加速度や圧力を確認しながら実施するものの、人間だと優しく触ってしまうんですね。耐久性など回数を重ねるものだと人間が延々と単調な動作を繰り返さなくてはなりません。それでロボットを作ることにしました。もう何種類も作りましたよ」(内藤氏)
そうして容赦のない耐久試験が実施されるようになり、製品強化を後押ししました。ここでの教訓として内藤氏は次のように述懐します。「それまで私たちは製品を見ながら仕事をしていたのです。この視点を変え、お客様を想像して開発するようになりました」
何よりも顧客を意識すること。これはThinkPadの哲学として脈々と後継機へ受け継がれるようになります。
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2. 通信環境が変化する中、革新的な技術を先駆けて製品に実装
初期のThinkPadの中でも際立った特徴を持つ製品に、1995年の「ThinkPad 701シリーズ」(写真3)があります。液晶パネルを開くと、その動きに合わせるようにキーボードが展開して横に広がるという画期的な機構を搭載した製品です。このキーボードは「バタフライキーボード」と呼ばれ、大きな話題を呼びました(正式名称は“TrackWrite”)。その先進性とデザインは高く評価され、今ではニューヨーク近代美術館の永久所蔵品として展示されています。
(写真3)1995年発売の「ThinkPad 701シリーズ」。写真はThinkPad 701C。話題となった「バタフライキーボード」の機構の一部は最新製品も取り入れている
バタフライキーボードは多くのファンの注目を集めましたが、ThinkPad 701とともに姿を消しました。レノボ・ジャパン 取締役副社長 内藤在正氏(写真4)によるとバタフライキーボードは「10.4インチという小さなディスプレイを搭載したノートパソコンに、少しでも大きなキーボードを載せるために考えたもの」だとのこと。ノートパソコンの液晶ディスプレイが大きくなると、バタフライキーボードは必要なくなってしまったということです。
(写真4)レノボ・ジャパンの取締役副社長を務める内藤在正氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)
しかし、バタフライキーボードの「遺産」は最新製品に見ることができます。「ThinkPad Yoga」は、液晶ディスプレイの裏側がキーボードの裏側にくっつくまで開くようになっています。これはディスプレイにペン入力するときの持ちやすさを考えてのことですが、ただ広く開くだけではありません。液晶ディスプレイを広く開いていくと、セパレート型キーボードの隙間を走っているプラスチックの板が上がっていき、キーボードのキーとほぼ同じ高さになります。こうすることで、抱えながらペン入力しているときにキーボードに手が掛かっても、誤入力が発生しないようにしているのです。
バタフライキーボードは、ThinkPadの「最先端を走るノートパソコン」というイメージを決定的なものにしました。しかし進化を追い求める過程では多くの課題もありました。印象深い課題の一つとして、内藤氏は熱対策を挙げます。デスクトップパソコンなら本体内に広い空間があり、ファンを取り付けることもできます。しかしノートパソコンではそうは行きません。あの薄い板状の本体内に必要な部品を所狭しと並べているので、放熱は簡単ではないのです。
加えて90年代はノートパソコンで最大の熱源となるCPUの消費電力量が倍々に増加し、それに伴い発熱量も上がっていきました(もちろん性能も伸びましたが)。内藤氏は「最初に『デスクトップのようにノートパソコンにもファンを入れるか!』と言っていたときは冗談だったんですけどね」と笑います。
ThinkPadの強度についても触れておきましょう。ThinkPadの軽さと強度を実現するために欠かせないものの一つに、ThinkPadの外装を覆うカーボンファイバー(CFRP:炭素繊維強化プラスチック)があります。内藤氏によるとThinkPadで使用しているカーボンファイバーは日本メーカーのもので、そのメーカーの最高級品だとのこと。ThinkPadのほかには、ゴルフクラブやアユ釣りのさおで使われているものです。世界にその名をとどろかせるThinkPadの軽さと強さは、日本で開発しているからこそもたらされたともいえますね。
ただしカーボンファイバーにも難点があります。金属と違い、炭素の繊維は無線の電波を通しにくいのです。そのためアンテナ周辺には電波を通すグラスファイバー(GFRP:ガラス繊維強化プラスチック)を配して、つなぎ目が目立たないように工夫しているそうです。
2000年を過ぎると、ノートパソコンを取り巻く環境は変わってきます。ADSLや光ファイバーなどの高速回線と無線LANがセットで普及してきたのです。ThinkPadはそうした時流も先回りして製品に実装していきました。
2000年には無線LAN通信機能を内蔵、2001年にはセキュリティチップを搭載、2003年にはハードディスクドライブを衝撃から保護するアクティブプロテクションシステムを採用、2004年には指紋認証装置を搭載するなど、ThinkPadが業界に先駆けて新技術を取り入れた例はいくつもあります。
通信環境の変化は人々の仕事のスタイルや時間の使い方を変えました。内藤氏はこう教えてくれました。「海外では残業せずオフィスから早く帰宅する人が多いのですが、それは夕食を家族と過ごすためです。怠け者ではないのですよ(笑)。団らん後の深夜、自宅から電話会議に参加したり、書類作成に精を出す人も珍しくありません。ノートパソコンが普及したからこそ時間を有効活用して、どこでも仕事をすることが可能になったのです。日本では仕事はオフィスでするものというイメージが強いのですが、育児中のテレワークなどでモバイルワークが注目されるようになりました」
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3. 「レノボのThinkPad」に変わっても「ThinkPadらしさ」は変わらない
2004年12月、衝撃的なニュースがIT業界を駆け巡りました。中国レノボグループがIBMのPC事業部を買収すると発表したのです。レノボ・ジャパン 取締役副社長 内藤在正氏(写真5)はそのニュースをアメリカで目にし、日本で動揺が広がっていることを案じて帰国しました。帰国すると社員たちに「これは悪いディールではないですよ」と懇々と諭したそうです。
(写真5)レノボ・ジャパンの取締役副社長を務める内藤在正氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)
懸念の多くはThinkPadの強さや良さが消失するのでないかというものでした。中には失望を込めて「これからは全く異なるパソコンにThinkPadのシールが貼られてしまうのですね……」と内藤氏にこっそり尋ねた人もいました。
そうした疑念を払拭(ふっしょく)するため、内藤氏は「ThinkPadは変わりません」と訴え続けました。努力が実ったのは買収から3年後。「2008年ごろから『ThinkPadは本当に変わらなかったね』と言われるようになり、安心しました」と内藤氏は安堵(あんど)の表情を見せます。
実際に買収以降の3年間は「ThinkPadは変わらない」というイメージを定着させるため、大胆な変更を伴う製品発表を控えようとする雰囲気がレノボ社内にありました。「そうして我慢した後に、先進技術を思いきり盛り込んで出したのが『ThinkPad X300』(写真6)でした」(内藤氏)
(写真6)2008年発売の「ThinkPad X300」。当時の最新技術を投入した意欲作だった
ThinkPad X300は、2008年当時としては本体が薄くて軽かったのですが、驚くべきことにその薄い本体にDVDドライブを内蔵していました。DVDドライブは、当時はまだ珍しい7mm厚のものを採用していました。ほかにもThinkPadとしては初めて1.8インチ64GBのSSD(Solid State Drive)を搭載したり、液晶ディスプレイのバックライトも従来の冷陰極管からLEDに変えて消費電力を大幅に削減したりするなど、内藤氏が言うように技術的に大幅な進化を遂げた製品でした。
しかしX300は、ビジネス的には苦戦を強いられました。市場の評価は高かったものの、先端技術を盛り込んだ結果、高価になっていたのです。そして、同年に発生した金融危機「リーマンショック」が何よりも大きく影響しました。X300は商業的には成功しませんでしたが、その開発過程で得られた技術は後のThinkPadが受け継いでいます。
その後もThinkPadは革新的な技術を搭載し、進化を続けながら現在に至ります。ほとんどの機種にカーボンファイバーを用いて軽さと強度を実現しているのも大きな特徴です。余談ですが、2012年発売の「ThinkPad X1 Carbon」まで、カーボンを使っていることは特にアピールしていなかったそうです。「絶好のアピール材料になるのにもったいない」という声が上がり、X1 Carbonから製品名に「Carbon」が入るようになったとのこと。
そして、ThinkPadを語るうえで何よりも大切なことがあります。IBM時代から変わることなく脈々と受け継がれている哲学「お客様の成功のために」。製品を開発することがゴールではなく、買ってくれたお客様がThinkPadを使って成功を勝ち取ることがThinkPad開発メンバーのゴールだというわけです。誰かカリスマ的な経営者が提唱したわけではなく、自然と社風として根付いた考えだそうです。
2015年、レノボによるIBMのPC部門買収から10周年を迎えました。買収以前、レノボの市場シェアは2.3%で世界9位でしたが、2015年には20%で業界トップ(IDC調査より)になるほど成長しました。売り上げは10年前の13倍となる390億ドル。さらなる買収も続けて事業を拡大し、パソコンだけではなくタブレットやスマートフォンを発売するなど、「クラウド時代に最適な端末」(内藤氏)として躍進を続けています。
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