2016年12月14日公開

【連載終了】ITここに歴史あり

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紙から紙に複写するコピー機がたどった道

執筆:加山恵美(フリーランスライター) 編集・文責:株式会社インプレス

コピー機はデジタル化のほかにもネットワーク化やカラー化を果たし、性能向上なども同時並行に進めていきました。紙から紙へ複写するために登場したコピー機は機能を増やして複合機として発展して現在に至ります。今後どのような方向へと進むのでしょうか。

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1. 青焼きの技術から小型複写機へ 感光紙から普通紙へと

「青写真を描く」という表現があります。青写真とは、元の書類と感光紙を重ねて露光し、化学反応で元原稿を複写したものです。「青焼き」や「ブループリント」とも呼ばれています。設計図で多く用いられていたため、「青写真」というと構想や未来図を意味する言葉になっています。

この「青写真」による複写に欠かせないのが感光紙(印画紙)でした。当初は青地に白線だったところ、日本の理化学研究所が反転して白地に青い線とできる陽画感光紙を発明しました。白地となることで書き込みができるようになり、利便性が高まりました。これを販売するために1936年に創業したのが理研感光紙株式会社です。後に理研光学工業へと社名変更し、1963年に再び社名変更して現在の社名となるリコーになります。

1950年代にはオフィス向け卓上型の複写機が登場します。複写の対象が図面だけではなく書類にも広がり、複写機はオフィスで使われる事務機器へと変わっていきました。

まず1951年にコピア(現在のキヤノンファインテック)が青写真用の複写機を発売し、追って1955年に現在のリコーが露光と現像を一体化した複写機「リコピー101」を発売開始しました。なお、このリコピー101は一般社団法人日本機械学会が認定する機械遺産として認定されています。小型卓上複写機は手書きによる写し作業を減らし、オフィスに転記ミス削減や事務効率化をもたらしました。

(写真1)リコーの複写機第一号「リコピー101」。日本機械学会認定の機械遺産だ。複写機の登場は、オフィスに事務効率化をもたらした

この時代の複写機は青焼きの技術をベースとしており、感光紙が不可欠でした。感光紙は薬品で加工した特別な紙であり、普通紙よりも高価です。また不意に感光しないように、光に当てずに保護して取り扱う必要もありました。

1970年代には普通紙複写機が登場します。紙に何も仕掛けがない普通紙が使えることは複写の敷居をぐんと下げました。リコーからも1972年に普通紙複写機「PPC900」が発売されました。

リコー 画像システム開発本部 副本部長の轡田正郷理事は「PPC900はB4サイズまで印刷できました。大型で230kgもあったため、納品時には4~6人で運ぶ必要がありました。新人はよく駆り出されました」と振り返ります。同社画像システム開発本部 開発支援センター センター長 斉藤穣氏は「(新製品納品で)PPC900の引き上げも大変でしたよ。トナーを抜いたはずなのに服にインクがついてしまったりね」と言います。

(左)株式会社リコー テクノロジーセンター 画像システム開発本部 副本部長 轡田 正郷理事、(右)株式会社リコー テクノロジーセンター 画像システム開発本部 開発支援センター センター長 斉藤 穣氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

なおリコーではコピー機の元祖にあたるジアゾ複写機は2007年に製造終了したものの、消耗品となるジアゾ感光紙や現像液などの販売はしばらく続けていました。ついに販売終了となったのは2016年3月、半世紀以上も続く長い製品でした。

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2. デジタル化で機能は百花繚乱、一時は画像処理もコピー機で

「80年代半ばくらいまで、商店街に『コピーサービス』って看板を掲げたお店があったんですよ」とリコーの轡田氏は言います。コピー機が普及する前は、コピー機を所有していればコピーをサービスとしてビジネスができていたということです。コピー機が普及するまでには多くの技術開発がありました。

(写真3)株式会社リコー テクノロジーセンター 画像システム開発本部 副本部長 轡田正郷理事 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

トナーだとかつては湿式と乾式の2種類がありました。最初に登場したのは湿式でしたが、しばらくは乾式と並行して開発が進みます。轡田氏は「乾式派と湿式派が互いに競い合っていましたね」と言います。

湿式は液体なので長く放置すると乾燥してしまうなど扱いが難しく、構造が複雑になりがちという難点がありました。一方、乾式はコントラストが強く出すぎてしまうなど、繊細な表現力を不得意としていました。両者ともに技術改良を進めつつも、最終的には乾式に一本化されます。

「2種類あると開発費が倍になってしまいます。しかし当初はどちらがいいか判断が難しいところでした。最終的には良質な画質を実現できること、コストや性能で有利となる乾式になりました」(斉藤氏)

技術的に大きく躍進したのはデジタル化です。リコーだと1987年発売「IMAGIO 320」が初のデジタル化を実現した製品でした。それまでのアナログ複写機と比較すると、デジタル化で多様な機能が実現可能となりました。そこから、コピー以外にもFAXやプリンターとしての機能も搭載できる複合機へと発展します。

(写真4)リコーのデジタル複写機「IMAGIO 320」。複写機はデジタル化によって多彩な機能を装備するようになり、飛躍的に進化した。またFAXやプリンターとしての機能も備えた複合機へと発展した

初期のデジタルコピー機は今では驚くくらい多機能でした。拡大縮小はもちろん、縦方向あるいは横方向だけ拡大縮小、白黒反転、輪郭抽出、網掛けなど、ちょっとした画像処理機能も搭載していたのです。

「デザイナーなど一部で好評だったんですよ」と斉藤さん。今ならパソコンですむ処理ですが、当時は80年代でパソコンはまだ普及しておらず画像処理機能には需要がありました。「書類を文字認識して単語単位で翻訳する製品もあったんですよ。ただし出力に時間がかかってしまってね(ほかに使いたい人が待たされてしまう)」と斉藤さんは笑います。

(写真5)株式会社リコー テクノロジーセンター 画像システム開発本部 開発支援センター センター長 斉藤穣氏(写真:加山恵美)

デジタル化でメモリーやハードディスクも搭載するようになりますが、80年代はまだメモリーは高級品でした。メモリーだけで数万円のコストがかかるほどでした。最大サイズ(A3)で緻密な書類だとメモリー不足を起こすことが分かり、急きょメモリーを増強して改良することもありました。

複合機となることで多様なインターフェイスが実装されていきます。パソコンのインターフェイスにRS-232CやSCSI、FAXには電話のアダプターなど。90年代前後はコピーの機能が百花繚乱の様相を呈した時代でした。

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3. コピー機は複合機となり機能は取捨選択され、将来は情報管理の一翼を

前回紹介したようにコピー機がデジタル化すると一気に機能が広がり、FAXやプリンターなどの機能を搭載した複合機の道へと進みます。パソコンが普及する前なら好評だったコピー機の機能もパソコン普及とともに不要となるものも出てきます。デジタル化で一時爆発的に増えたコピー機の機能はパソコン普及の影響を受けて淘汰されていったのです。

一方、コピー機が複合機となる過程でオフィスにあるFAXの多くは「FAXモジュール」となり、複合機の一部へと吸収されていきました。ただしFAXは契約書や発注書など重要書類の送受信に使われており、ビジネスの重要な役割を担っていました。重要な書類であればFAX送信後に「届いていますか?」と電話で確認をすることもあったそうです。FAXは今ならミッションクリティカルなサーバーに近い存在だったといえるかもしれません。

「新しいものは競合他社と一緒にやるからいいのです」と轡田氏は言います。コピー機という新しい機械が機能や役割を広げていくなかで、競合他社と互いに切磋琢磨することで洗練されてきました。

(写真6)株式会社リコー テクノロジーセンター 画像システム開発本部 副本部長 轡田正郷理事 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

デジタル化のほかにもコピー機ではネットワーク化やカラー化も大きな進展をもたらしました。ネットワーク化で複合機が社内ネットワークに接続されると、利便性は大きく高まります。例えばそれまではパソコンからプリントアウトするために複合機に直接パソコンを接続していたところ、ネットワーク経由でプリントアウトできるようになるからです。

リコーでカラー化を実現したのは1990年に発売された「ARTAGE 8000」です。これは世界初4ドラムカラーのデジタル複写機であり、翌年にはグッドデザイン賞を受賞しています。斉藤氏は「カラーだとドラムが四つになるのです」と言います。トナーのドラムはそれなりの容積があるため、カラー化で黒一つから四つに増えると大きく場所を必要とします。設計的には大きなインパクトでした。

(写真7)リコーは1990年に発売された「ARTAGE 8000」でカラー化を実現した。世界初の4ドラムカラーのデジタル複写機で、翌年にグッドデザイン賞を受賞した

ふと斉藤氏は「いまオフィスではほとんどコピーしなくなりましたよね」と指摘します。オフィスで複合機を使うことはあっても、ほとんどがパソコンからのプリントアウトで紙から紙へコピーする機会はなくなったからです。言われてみれば確かにそうです。

(写真8)株式会社リコー テクノロジーセンター 画像システム開発本部 開発支援センター センター長 斉藤穣氏(写真:加山恵美)

轡田氏は将来についてこう話しています。「これまではコピー機から複合機まで、『紙に出力する』という大きな目的へと一直線に進んできました。しかしこれからは違います。ペーパーレスを進め、オフィスの情報管理という広いテーマに目を向けていかなくてはなりません。大きく発想を変えていく必要があります」。

紙から紙へと複写するために生まれたコピー機は複合機を経て、オフィスの情報管理を担う存在の一つへと役割を変えていきそうです。次はどのような技術革新でオフィスに影響をもたらすのでしょうか。

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