【お知らせ】がんばる企業応援マガジン最新記事のご紹介
1. 行先掲示板をホワイトボードからブラウザーへ、シンプルさにこだわり
かつてオフィスで定番の備品に行先掲示板がありました。同僚がどこにいるかが分かるホワイトボードです。サイボウズ 代表取締役社長 青野慶久氏(写真1)がいたオフィスにもあったそうです。
(写真1)サイボウズ 代表取締役社長 青野慶久氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)
「出社すると自分の名前プレートを白い方(出社の印)にめくり、外出するときには行き先を書き込みます。当時(90年代)携帯電話は共有でしたので、携帯電話を持ち出す人は番号のプレートを自分の行き先に貼ったりしていましたね」(青野氏)。
青野氏が入社した90年代中頃はクライアント・サーバー型のグループウェアが登場し、オフィスにおける情報共有の電子化の幕開けとなった時代でした。当初は各パソコンに専用のソフトウェアをインストールし、定型の文書を共有することが主でした。青野氏はこうしたグループウェア導入に携わるものの、「使えなかったんですよ。重くて。機能はリッチなのですが、作り込みが必要で」と苦戦していました。
少しするとインターネットが普及し始めました。ブラウザーを使ってWebページを見る。それは専用アプリケーションの操作よりずっとシンプルで、かつ簡単でした。リンクをクリックすれば別のページが開く、それだけ。「これなら簡単だから使える! 絶対にウケる!」と直感した青野氏はブラウザーから使えるグループウェアの開発に乗り出し、愛媛県松山市のマンションにて仲間3人でサイボウズを起業しました。
初期の「サイボウズ Office」に搭載された機能は共有スケジュール(カレンダー)、行先掲示板、掲示板、施設予約の四つ(写真2)。ほとんどが当時のオフィスに実在し、手書きで情報共有していたものをブラウザーから使えるように置き換えたものでした。例えば「施設予約」は会議室の前に貼られていた紙のカレンダーの代わり、といった具合です。
(写真2)Netscapeで動作していたスケジュール画面。懐かしく感じる方も多いのでは。
サイボウズの特徴は徹底したシンプルさにありました。ダウンロード販売をしていたこともありプログラムのデータサイズが軽いこと、インストールが簡単であること、ユーザーが手軽に使えることにこだわりました。
イントラネットで使うのが前提で、プログラムは社内Webサーバーにインストールします。社内Webサーバーがなければ社内で空いているパソコンにWebサーバー機能ごとインストールすることもできました。インストールするユーザーが悩むことがないように、環境を自動判別して必要な機能をインストールするなど、裏では高度な処理をしていました。
サイボウズを導入したあるオフィスでは、ホワイトボードの行先掲示板に「サイボウズ」と書かれるようになったそうです。それはつまり「ここではなく、サイボウズに書き込め」という指示でした。
機能はリッチではなくシンプルに、導入範囲は全社ではなく部門レベルに。この敷居の低さから、サイボウズは瞬く間にブラウザーベースのグループウェアとして急成長します。青野氏はこう振り返ります。「パソコンが1人1台、それぞれ社内ネットワークに接続するようになり、ブラウザーの機能も一気に進化するなど、いろんなことが重なりました。運が良かったと思います」
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2. サイボウズ、瀕死の時代、「メールとExcelには勝てなかった」
サイボウズの起業は1997年。「サイボウズ Office」は瞬く間に普及しました。クライアント・サーバー型のグループウェアが全社導入など大規模で使うことを想定していたのに対し、初期のサイボウズは部門で手軽に使えるようにした戦略も功を奏しました。当初は50ユーザー版が多く売れていたそうです。
(写真3)初期の「サイボウズ Office」
サイボウズには「まず自分のチームから始めましょう」と、身近なところから情報共有を習慣づけようとする狙いがありました。
その分かりやすさと敷居の低さから「サイボウズ Office」はグループウェアに関する各種顧客満足度調査(注)では常に高い評価を獲得し、確実な支持を得ていました。ユーザー数も急速に伸びていきます。
- (注)「日経コンピュータ」誌 顧客満足度調査 グループウェア部門など
ところが、新規ユーザー数は2000年をピークに急速に落ち込んでいきます。高い人気と評価があるにも関わらず、です。サイボウズ 青野氏(写真4)は「大敗でした。メールと表計算には勝てなかった」と悔しさをにじませながら言います。
(写真4)サイボウズ 代表取締役社長 青野慶久氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)
新規ユーザー数が2000年で頭打ちになったのは、競合グループウェアに人気が流れたわけではありません。グループウェアを使おうとするユーザーが飽和したと考えられます。
90年代からパソコンとインターネットが普及し、先進的な企業ではメールに加えてグループウェアを導入しました。しかしそれは一定数までで、ほかはメールで事足りてしまっていたのです。文書はWord文書、スケジュールはExcelファイルで作成し、メール添付で情報共有という会社が多かったのです。
一度グループウェアを使えば、メールでの情報共有は非効率だと分かります。ファイルに更新があれば再送信が必要となりますし、個人の受信ボックスに雑多に情報が積み上がっていくため、必要な情報を探すのが困難になります。グループウェアなら共有の場所に最新の情報があるので、必要な情報にたどり着きやすくなります。メンバーの増減があったとしても、適切な範囲で情報共有ができます。にもかかわらず、多くの企業にとって「メールがあれば十分」という時代が長く続いたのです。
2000年以降のサイボウズは新規ユーザー数が伸び悩むなか、既存顧客へのバージョンアップや保守を続けました。時代に合わせた機能を地道に増やし、使い勝手を向上するなどしてグループウェアとして愚直に改良を続けたのです。
例えば2000年以降は各種モバイル端末にも対応しました。フィーチャーフォンから共有のスケジュールを閲覧できるようにしたり、PDAをクレードルに挿すとデータが自動的に同期されるようにしたりするなど便利な機能を増やしました。しかし喜んだのは一部のユーザーのみ。モバイル端末でグループウェアが本格的に普及したのはiPhoneによってスマートフォンが登場して以降でした。
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3. グループウェアの本当の普及期はこれから。シェアリングは情報からビジネスにも拡大
2000年以降に新規ユーザー数が伸び悩んだことについて、サイボウズ 青野氏(写真5)は「働き方を変えられなかった」と言います。
(写真5)サイボウズ 代表取締役社長 青野慶久氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)
企業のデジタルな情報共有は段階を経て成熟していきます。かつてはメールからグループウェアという流れでした。メールは送信者が宛先を指定するため、一方通行で限られた範囲での情報共有となります。グループウェアになるとオープンな情報共有となり、チームのコラボレーションが進みます。
情報共有のやり方を変えるということは、働き方や意識を変えることにもつながります。企業がグループウェアを使いこなせないということは、働き方が変えられないからだとも言えます。例えば一匹狼的な営業が「なぜ自分の企画書を仲間に開示しなくてはならないのか。ライバルに出し抜かれるのは嫌だ」と抵抗すると、情報共有は進みません。グループウェアの活用とは、働き方を個人戦からチームプレーに変えることでもあるのです。
また上司などキーパーソンが「グループウェアに記入するのは面倒だ」と参加を放棄してしまうと、グループウェアが機能しません。全員が参加して情報をくまなく共有できる状態でないと情報共有は破綻してしまいます。社内で旗振り役がいるかどうかでグループウェア定着の成否が分かれることもあります。
転機となったのは2011年。サイボウズ Officeのクラウド版が登場すると、新規ユーザー数はぐんぐん伸びていきます。近年は2桁成長を続け、2016年は過去最高売上を記録しました。
クラウド版なら企業はユーザー数分だけ利用料金を支払えば使えます。初期投資が不要となり、導入の敷居がぐんと下がりました。それだけではなく、社会で働き方の意識が変わってきた影響もあるようです。青野氏は「人手不足などで効率を高めなくてはならないなか『チームで情報共有しよう(そうでないと勝てない)』という機運が高まってきた」と分析しています。
今やグループウェアの世界は、閉じられたものではありません。公開されたAPIを通じて、さまざまなアプリとの連携が可能です。将来的には自動入力の範囲が広がり、AIなどで仕事のアサインを最適化することも実現していきそうです。チームの仕事がより効率的になります。
「今は、メールだけでなく、メッセンジャーやビデオチャットなど、新しいコミュニケーションツールがビジネスでも使われるようになってきていますが、会社には仕事に来ていますから、情報は構造的に管理する必要があります。例えばタスクには期限やステータスがあるように。だから情報を再利用しやすく管理するにはグループウェアが必要です。当初からグループウェアの中心にあるのはシェアリング(共有)です。これまではオフィス内の情報共有でしたが、これからさまざまなパートナーとビジネスをシェアリングできるように進めていきます」(青野氏)
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