2017年 6月21日公開

ITここに歴史あり

設計のあり方だけでなく、働き方も大きく変えたCAD

執筆:加山恵美(フリーランスライター) 編集・文責:株式会社インプレス

CADが普及する過程では多少の混沌もありましたが、運用面での対策も普及していきました。またインターネット環境の発展により、設計者のワークスタイルをも変えつつあります。今後のCADは2D図面だけではなく3Dへの応用もあり、活用範囲が大きく広がってゆくでしょう。

1. メインフレームで使うものだったCADがパソコンの世界に

「設計図」とは建築や工業製品の専門知識を持つ人が描くもので、実際に紙に描くには「ドラフター」と呼ぶ製図台を使うのが普通でした(写真1)。ドラフターとは、各種定規や製図道具をつけるアームが付いている大きな板で、ドラフターの板に正対するように座ることで、効率よく作業ができるようになっています。平行線、垂直線、斜線など、設計図を正確になるべく短時間で描くためには欠かせないものでした。

(写真1)ドラフター。CADが普及する以前は、この台で設計図を手描きしていた

ドラフターを使った製図作業は、当然ながら全て手描きです。オートデスクでエバンジェリストとしてAutoCADの啓蒙活動にも携わっている伊勢崎俊明氏(写真2)は「設計する人は図面を自分の『作品』だと考えています。数字もその字体に至るまで細部にこだわり、心を込めて描くのです」と言います。心がこもるのも当然かもしれません。描くのはまだ誰も見たことがない何かであり、そこには将来への大きな期待があるからでしょう。

設計図は何かを作るために描くものです。当然、描いておしまいとはいきません。設計図の通りにものを作ってくれる人にも提供して、内容を理解してもらう必要があります。ものを作る人が増えれば当然その分、多くの人に設計図が意図する情報を正確に伝えなければなりません。

例えば建築物なら、建築業者は骨組みや柱、天井、床など、建築物自体の図面を見て作業します。しかし、それだけでは建築物は完成しません。照明、空調、水道などの設備を整えていかなければならないからです。こういった部分を担当する業者は、設計図にトレーシングペーパーを重ねて複写し、自分たちだけが関係する情報、例えば照明の業者なら照明の設置位置や配線を示す情報を描き足して作業をしていました。複写機やCADが登場する前は手描きで設計図の情報を共有していたのです。

(写真2)オートデスク エバンジェリストの伊勢崎俊明氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

世界初のCADソフトウェアは、1963年に当時マサチューセッツ工科大学の博士課程に在籍していたIvan Sutherland博士が作成した「Sketchpad」です。これはCADソフトウェアの先駆けであるだけでなく、GUI(Graphical User Interface)やオブジェクト指向プログラミングの考え方を取り入れた、非常に革新的なものでした。Sutherland博士はSketchpad開発の功績により、1988年にチューリング賞を受賞しています。

Sketchpadが残した功績は大きなものです。しかし、Sketchpadが登場した60年代は、コンピューターはとても高価で、誰もが使えるものではありませんでした。70年代になっても、コンピューターは一部の人しか使えないものでした。当時CADソフトウェアを使うには、メインフレームやUNIXワークステーションなどのとても高価なハードウェアをそろえる必要がありました。これはとても高いハードルであり、ごく一部の人しか越えられないものでした。

80年代に入ると状況は大きく変わります。1982年にJohn Walker氏がAutodesk社を設立し、パソコン向けCADソフトウェア「AutoCAD」を発売しました。John Walker氏はAutoCADの開発者でもあります。初期の製品はCP/MやMS-DOSといった、今となっては原始的なOSで動作するものでした。

AutoCAD発売当時のパソコンはまだ高級品でしたが、個人でも何とか手が届くものであり、メインフレームやUNIXワークステーションと比べればかなり安いと言えました。当時「パソコンでCADが使える」ということはとても画期的なことで、各種展示会では多くの人から注目を集めたそうです。

AutoCADが登場するまで、CADと言えばメインフレームやUNIXワークステーションで利用するものでした。それが、AutoCADの登場によって個人でも手が届くパソコンでCADが使えるようになり、CAD導入の敷居が一気に個人レベルまで下がりました。Autodesk社は、CAD普及に最も貢献した企業と言っても良いでしょう。

なお、世界で最初にCADを使い始めたのは航空業界だそうです。ただしこれは、ワークステーションで動作する3D CADです。日本でパソコン向けCADソフトウェアが登場したときは、3Dモデルではなく、図面を作図する目的で主に建築業から普及していきました。

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2. カスタマイズと、ユーザーを早くから取り込む戦略で普及

オートデスクの日本進出は1983年。アメリカ本社設立から間もない頃です。当時の日本法人はまだベンチャーのような規模だったので、事務室はマンションの一室でした。在庫であるAutoCADのパッケージは、押し入れに入れて管理していたそうです。

日本に登場した当時のAutoCADはMS-DOSで稼働するソフトウェアでした。WindowsのようなGUI(Graphical User Interface)はまだ一般的なものではありませんでした。当然、AutoCADの操作はコマンド入力を多用するものになります(写真3)。

(写真3)初期のAutoCADの画面。画面下にある「Command:」という表示は、ユーザーにコマンド入力を促すもの(提供:Autodesk)

実際の製図作業は、基本的には始点と終点を指定して線分を引き、必要に応じて寸法を示す数字を書き入れることの繰り返しです。当時AutoCADでは線分だけでなく、円弧、円を描くことができました。これに加えて連続した線分と円弧の集まりである「ポリライン」も描けました。このように、描ける線の種類はそれなりに多かったのですが、当時のディスプレイの解像度が低かったので、線を引く時は図面の一部を大きく拡大する必要がありました。当時のCADソフトウェアを使った製図作業は、拡大して細部を描き、縮小して全体を見渡す……の繰り返しでした。

CADソフトウェアはかなりのコンピューターリソースを要求するものと思う方も多いでしょうが、意外にもそうではないのです。80年代のMS-DOS時代のパソコンでも十分使えたほどです。ただし「座標」を扱うので、浮動小数点演算がどうしても必要になります。座標を示す値は小数点以下何桁にもなる小数です。その小数が示す座標を正しく計算するために浮動小数点演算が必要なのです。

当時のパソコンには浮動小数点演算ユニットは載っていなかったので、別売りの数値演算コプロセッサ(Intel 8087、80287、80387など)を追加で購入して、取り付ける必要がありました。それでもUNIXワークステーションを購入することを考えると、かなり低いコストで使えたのです。

CADの普及によって便利になったことの一つに、関係者間での設計図情報のやり取りが簡単になったことが挙げられます。前回述べたように、設計図を手描きしていた頃は、基本となる設計図をもとに各業者が必要な部分をトレーシングペーパーを使って書き写し、そこへ各業者にとって必要な部分を書き足していました。トレーシングペーパーを使った各専門業者向け図面は、AutoCADの機能で言えば「レイヤー」に相当するものになるでしょう。必要に応じてレイヤーを重ねたり、除いたりできるのは画期的なことであり、CADの普及を大きく後押ししました。

オートデスクでエバンジェリストとしてAutoCADの啓蒙活動にも携わっている伊勢崎俊明氏(写真4)は「柔軟にカスタマイズできること」を挙げます。設計図は国や業界、あるいは細かい利用シーンごとに表記のルール(標準)がそれぞれ少しずつ異なるのです。例えば矢印の末端の形や寸法の線の引き方など、業界ごとにそれぞれ異なるルールがあります。

(写真4)オートデスク エバンジェリストの伊勢崎俊明氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

AutoCADは建築業界での利用を想定していましたし、実際、建築業界に広く普及しています。ただ、建築業以外でもAutoCADの利用が拡大していきました。それには理由があります。実は、図面と一言で言っても、業種によってその書き方が大きく異なるのです。また、国や自治体を含め、納品先となる企業によっても、図面表現に細かい差があります。これらの差を吸収したのが、AutoCADが持つカスタマイズ機能です。さまざまな業界で、細かくカスタマイズできるところが高く評価され、普及につながっていたのです。

柔軟にカスタマイズができるという点が、思いもよらない業界で評価を受けたこともあります。複数の鉄道関係のシステム業者では、AutoCADでダイヤグラム(ダイヤ)を描いています。正確に言うと列車の運行ダイヤではなく、駅や車両基地での作業スケジュールを定めたダイヤをAutoCADで描いているのです。次々にやってくる列車のことを考えながら作業するには、列車の運行ダイヤを元に、作業スケジュールもダイヤで細かく定める必要があるのです。この業者がダイヤ作成にAutoCADを採用した理由は簡単。ダイヤを描くためのソフトをスクラッチで作成するよりは、AutoCADをカスタマイズしたほうが短期間で完成度の高いシステムができたからです。AutoCADの高い描画性能も活用できることも、都合が良かったのでしょう。

オートデスクの販売戦略も、AutoCADの普及にじわじわと効果をもたらしました。学生向けに低価格なアカデミックパックを提供したのです。大学生や専門学校生には機能限定版ではなくフルセット版を通常版よりもかなり安い価格で提供しました。こうしてAutoCADを手にした学生はAutoCADでCADを学ぶようになります。そして、彼らが社会人になると、使い慣れたAutoCADを使いたいと希望し、企業が彼らのために定価でフルセット版を購入するようになるというわけです。オートデスクはいわば学生に「先行投資」して、早い段階から取り込むことに成功したわけです。

そして、社会人になってからCADに取り組むというユーザーには、パッケージとセットでトレーニングコースを提供しました。これもアカデミック版と同じように、CADにこれから取り組むというユーザーに、AutoCADの使い方を覚えてもらって、後々までAutoCADを選ぶお客さんになってもらうという戦略です。

AutoCADは柔軟にカスタマイズできるという特徴と、アカデミックパックや初心者向けトレーニングなどの販売戦略で、ユーザーを確実に取り込むことで広く普及していきました。

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3. クラウドの活用でVR画像生成など、CADは新しい世界へ

CADが普及することで、製図の効率が大きく上がり、設計図を通した情報のやり取りがスムーズになったことは前回までに説明した通りです。これらは設計図を描く人、それを読み取ってものを作る人に関係する話でしたが、CADの普及は全く違う世界にも影響をもたらしました。

かつて設計図を描くのは設計など専門知識がある人の仕事でした。しかしCADが登場したことで、設計の専門知識は持っていないけど、CADの操作を専門に担う「オペレーター」や「トレーサー」という職業が生まれました。CADの操作スキルさえあれば、職を得られるようになったのです。

そしてCADが普及する過程では、悩ましいことも起きました。CADを使う前にトレーニングを受講し、正しい使い方をマスターしてから使う人がいる一方、そうでない人もいました。我流で使ってしまうのです。

例えばAutoCADで寸法を表記するには、矢印や線がセットになった寸法表記専用のパーツを使います。しかしそのパーツの存在を知らないと、線や矢印を一つ一つ組み合わせて寸法を表記するセットを作ってしまうのです。出来上がった図面は同じに見えても、後で誰かが修正しようとすると、誰かが我流で作った部分の扱いに手を焼いて保守が難しくなるのです。

ほかにも独自の表記をしてしまう人も増えました。Microsoft Wordでいうなら、独自のスタイルをたくさん作り出してしまうようなものです。設計図は作業に関係する全ての企業が共有するものです。関係企業で分担して設計図を作り、最後にまとめる段になったところで、各社で表記がばらついていることが判明し、調整や図面の修正で余分に時間がかかって問題になったこともあります。

このような混乱を未然に防ぐには、表記ルールなどを統一する必要があります。それを指揮するのが「CADマネージャー」です。これもまたCADが登場したことで生まれた新しい職業です。

CADは進化を続け、かつては信じられないようなことも現在では可能になっています。例えば現在のAutoCADには3Dの設計データを基に、そのデータの通りにものを作ったらどう見えるのかを示す高画質な画像を生成する(レンダリング)機能があります。この機能を利用すると、完成したものを写真で撮影したかのような、臨場感あふれるプレゼンテーション用のCG画像を得ることができます。

しかし、この処理には最新の高性能パソコンを使っても何時間もかかります。その間、ほかの作業はできません。そこでAutodeskはクラウドを活用する機能を提供するようになりました。パソコンでは長い時間がかかるレンダリング処理も、負荷によって自動的に演算機能を伸張するクラウドなら数十分で済んでしまいます。クラウドがレンダリングしている間は、パソコンはレンダリング処理から解放されることになるので、ほかの作業をすることもできます。

オートデスクでエバンジェリストとしてAutoCADの啓蒙活動にも携わっている伊勢崎俊明氏(写真5)は、クラウドの活用例として、AutoCADのデータからレンダリングした360度VR画像を見せてくれました。段ボールでできた簡単な造りのゴーグルの前面にスマートフォンを差し込んで、ゴーグルをのぞき込むと、AutoCADで設計したデータを基にした360度VR画像を見ることができるのです。360度俯瞰可能なVR画像の生成には、完成イメージの画像生成よりもさらに長い時間がかかります。パソコン上で全ての機能を処理するのはもはや現実的ではありません。

(写真5)オートデスク エバンジェリストの伊勢崎俊明氏。スマートフォンでAutoCADのデータを基にした360度VR画像を見ることができることをアピールする *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

高度な3D設計ができるソフトでは工業部品の強度シミュレーション、建築物の断熱性能のシミュレーション、耐震性能のシミュレーションといったようなことが可能になっています(写真6)。このシミュレーションの演算もクラウドを利用することで、処理時間を短縮できるのです。

関係者との設計データ共有にもクラウドを活用できます。クラウド上にあるデータに複数の関係者がアクセスし、チャットで情報を交換しながら共同作業で設計データを作り上げていくことができるのです。

(写真6)「Fusion 360」で工業部品の強度シミュレーションをしたところ(左)、右側は、この部品を削り出す工作機械に渡すデータを作っているところ(提供:オートデスク)

また、タブレットを現場に持ち込んでクラウド上にあるデータを確認したり、場合によっては、直接データを修正したりするようなことも現実的になってきました。かつては施工現場で紙の図面を見ながら修正箇所をチェックし、会社に戻ってからCADデータの修正をしていました。今なら、タブレットでクラウド上にあるデータを修正すれば済んでしまうのです。日本ではまだ習慣付いているとは言えませんが、このような使い方に移行するのは時間の問題でしょう。

3Dに対応した技術とクラウドの活用により、CADは第2の普及期を迎えつつあるようです。

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