2017年 5月31日公開

ITここに歴史あり

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東京オリンピックから続く挑戦、「より速く、美しく」

執筆:加山恵美(フリーランスライター) 編集・文責:株式会社インプレス

エプソンのインクジェットプリンターの技術的な柱となるのがピエゾ方式です。今回はその特徴と経緯をあらためて振り返ります。またインクジェットプリンターはビジネスシーンで利用するときにどのような強みがあるのでしょうか。

1. ゼロから挑んだ東京オリンピック

1964年の東京オリンピックは、日本で初めて開催したオリンピックです。数々の日本人選手が活躍しましたが、協力という形で、日本企業も活躍しました。東京オリンピック以前、スイスのオメガ(OMEGA)やロンジン(Longines)といった世界的に有名な時計メーカーが担当していた「公式計時」を、日本のセイコーが初めて担当することになったのです。

しかしセイコーはまだ、スポーツ専用のストップウオッチを作った経験すらなく、本当にゼロからのスタートでした。機器の開発が始まったのは1961年。オリンピック本番まで3年しかありませんでしたが、「精工舎」「第二精工舎」「諏訪精工舎(現セイコーエプソン)」で分担して開発を進め、世界トップレベルの精度を誇るストップウオッチの開発に成功しました。さらに、水泳用電子計時装置や観客用の大型時計、卓上小型水晶時計「クリスタルクロノメーター QC-951」(1969年:諏訪精工舎が開発した世界初の水晶腕時計「アストロン」誕生のベース)などを開発し、東京オリンピックの成功を下支えしたのです。

オリンピックのために開発した製品の一つに「プリンティングタイマー」というものがありました。東京オリンピック以前、時間を競う競技では、人間がストップウオッチで記録を計時し、それを手書きで書き残していました。その作業のあり方を一変させたのがプリンティングタイマーです。

プリンティングタイマーは、高精度の水晶時計を内蔵した計時装置です。水晶発振器からの時間信号に合わせて、競技スタート時から機械式のカウンターが回転し、ラップ時、ゴール時にカウンターが示した時間を紙に印刷するというものです。いわばプリンター機能付きのストップウオッチです。その精度は1/100秒と、当時のオリンピック公式機器の名に恥じないものでした。さらに驚くべきは、時間を計測して印刷するだけでなく、ラップ数、コース、着順まで内蔵ロールペーパー(巻取紙)に印字する機能を持っていたことです。人手による計時と記録を置き換えた電子記録システムは実に画期的なものでした。

東京オリンピックのプリンティングタイマーは、後のベストセラーの基となりました。1968年に登場した世界初の小型軽量デジタルプリンター「EP-101」はプリンティングタイマーの技術を応用したものです(写真1)。電子式卓上計算機などに組み込む用途に向けて発売しました。印刷方式は「ラインプリント方式」。紙の上に赤黒の2色リボンが流れるようになっており、リボンを細い棒で打ち付けることで、リボンのインクを紙に転写する方式です。なお「EP-101」の「EP」は電子プリンター(Electric Printer)の頭文字に由来しています。

(写真1)世界初の小型軽量デジタルプリンター「EP-101」。大ヒットを記録し、その製品名は現在のブランド名の由来にもなった

EP-101は重さ2.5kg、手のひらに載るサイズでした。今見ると「小型」には見えないかもしれませんが、当時の計算機のプリンターに比べたら超がつくほど小型でした。EP-101には水晶時計用モーターを応用した小型モーターを実装するなど、腕時計で培った精密加工技術をふんだんに採り入れました。その結果、消費電力を従来のプリンターの1/20にまで抑えることに成功しました。

エプソン販売 RP営業部 RP MD課 課長 宮地哲氏(写真2)は「EP-101は実にさまざまな現場、オフィスだけではなく船内や発電所などでも使われました。構造がシンプルで耐久性が高かったため、7~8年前まで修理の相談があったほどです」と言います。累計販売台数は144万台に到達するなど広く普及した製品でした。

(写真2)エプソン販売 RP営業部 RP MD課 課長 宮地哲氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

「EPSON」という現在のブランド名は、この「EP-101の子ども(SON)」が由来となっています。EP-101から始まったプリンターがこれからも世にたくさん出ていくようにという願いを込めて1975年にプリンターの「EPSON」ブランドが誕生しました。EP-101はまさにエプソンの源流です。

今でもミニプリンターの子どもたちは小売りや外食の店舗など活躍しています。近年ではWebアプリケーションとタブレット端末から印刷できるレシートプリンター「TM-T88V-i」が小規模な店舗を中心に人気です。現在世界のミニプリンター市場でセイコーエプソン製品は45%を占めるほど根強い人気を誇っています。

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2. いち早くパソコン向けプリンターを発売

ミニプリンターが登場し、計算機や電卓の計算結果を紙に出力することが可能となりました。同時代(1970年代)にはマイクロプロセッサーの登場からコンピューターの発展が加速し始めます。ここでエプソンは早々にコンピューターと接続するプリンターの開発に着手しました。まずは1977年にはEP-101同様にラインプリント方式となる卓上型ラインプリンター「MODEL-10」を発売しました。

続けて1979年にエプソンは初めてのインパクトドットマトリクス方式プリンターとなる世界初のターミナルプリンター「TP-80」を発売します。ラインプリンターはタイプライターに似た構造であるのに対して、インパクトドットプリンターは「ニードル」と呼ぶ9本の細いワイヤがインクリボンを叩きつけて、インクリボンの向こうにある紙にインクを写して印刷します。

さらに改良を進めて1980年には、小型軽量の「MP-80(国内) / MX-80(海外)」が誕生します(写真3)。当時まだパソコンに接続できるプリンターは数少なかったことから、エプソンはたちまちデファクトスタンダードとなり、IBMパソコンの国内外での普及とともにMP-80 / MX-80は大成功を収めます。

(写真3)1980年に登場した「MP-80」。パソコン用プリンターとして好評を博した

インパクトドットマトリクス方式プリンターの特徴は独特の「ジジジジジ」という細かく紙を叩く音と、点描であることが分かる(粗い)文字です。そこで、静かに高解像度で印刷できるプリンターを目指して、エプソンは開発を始めました。

静粛性と高解像度を求め、エプソンはノンインパクト方式のプリンターを模索しました。最初に注目したのが熱転写方式でした。インクリボンのインクを、熱を使って紙に写す方式です。最初はモノクロプリンターを発売し、CMYK(シアン、マゼンタ、イエロー、黒)の4色のリボンを使うカラープリンターも開発しました。

しかし、パソコン向けには熱転写プリンターはあまり普及しませんでした。エプソン販売 RP営業部 RP MD課 課長 宮地哲氏はその理由として、「無駄になるインクが多い」という点を挙げました。

無駄になるインクが多いというのは、小さい点を印刷しても、複雑な漢字を印刷しても「1文字」とカウントしていたことを指しています。インクリボンを使うプリンターでは1文字印刷したら、その文字がどんな文字でも、リボンを1文字分先に進めて、次の文字を印刷する準備をするようになっていました。つまり「、」を印刷しても「■」を印刷しても、インクは1文字分先に進んでしまうということです。「、」を印刷しても1文字分というのは、やはりもったいないことです。

熱転写プリンターはこのような仕組みになっていたので、印刷に必要なインクリボンを頻繁に交換しなければならず、ランニングコストが問題となりました。1枚当たりの印字コストを考えても、相当な値段になっていました。また、熱転写プリンターには印刷が遅いという問題もありました。

熱転写プリンターと同時並行でレーザープリンターの開発も進めていましたが、当時はモノクロ印刷しかできず、プリンター本体が大きすぎるという問題がありました。そこで、最後に候補として残ったのがインクジェット方式です。

エプソンは、1984年にインクジェットプリンター「IP-130K」を発売します。これがエプソンにとって初めてのインクジェットプリンターとなります。静音、高速、鮮明、かつ漢字インクジェットプリンターでは初めて50万円と低価格である点が注目を集め、「IP-130K」はビジネス機として好評を博しました。

しかし、インクジェットプリンターは最初から大好評とはいきませんでした。インクジェットプリンター登場当時の課題に、印字ヘッドにインクが詰まるという問題がありました。加えてインパクト方式のプリンターが安くなっていき、インクジェットプリンターは価格で不利となっていました。インクジェットプリンターにとって厳しい状況でしたが、ピエゾ方式の大きな可能性を確信したエプソンは、1988年にインクジェットプリンターの開発を推し進めることを決断します。

1993年には「MACH」テクノロジーを搭載したインクジェットプリンター「MJ-500」が登場します。従来のインクジェットプリンターと比べ、ヘッドを刷新した製品でした。ヘッド主要部の小型化、印刷の高品質化と高速化も実現し、また本体価格もインクカートリッジ価格も抑えました。インクジェットプリンターとしての再出発でした。

エプソン販売 CP MD課 課長 新川晶久氏(写真4)は90年代を振り返り、「私はまだ学生で、学校でプリンターが普及し始めたころでした。それまで論文やレポートは手書きで、誤字があると修正液を塗って修正しなければなりませんでした。修正液を使うと見た目が汚くなるので、それを嫌って1文字の誤字のために、1枚を最初から書き直す人もいました。画面で修正してプリンターで簡単に再印刷できることは画期的でした」と述懐します。

(写真4)エプソン販売 CP MD課 課長 新川晶久氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

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3. 写真画質を達成し、将来は「レーザー超え」へ

エプソンのインクジェットプリンターの最大の特徴は、印刷にピエゾ素子を利用する「ピエゾ方式」にあります。ピエゾ素子とは、電圧を加えると変形する性質を持つ電子部品です。ピエゾ素子に電圧を加えて変形させることで、微量のインク液を押し出すことができます。エプソンのインクジェットプリンターは、このピエゾ方式を柱に技術改良を進めてきました。

最初のインクジェットプリンターとなる「IP-103K」ではピエゾ方式でしたが、後の「MJ-500」ではヘッドを改良して「マイクロピエゾ方式」へと発展させました(写真5)。エプソン販売 RP営業部 RP MD課 課長 宮地哲氏は「当初のピエゾ方式はガラス製ヘッドを搭載していましたが、これには小型化が難しいなどの課題がありました」と説明します(写真6)。

(写真5)1993年発売の「MJ-500」。当時新開発のマイクロピエゾ方式を初めて搭載した製品

1990年に新たなマイクロピエゾ方式に目途を付けて開発プロジェクトをスタートさせたものの、量産化まではいくつもの障壁が立ちはだかり苦難の連続でした。腕時計製造部門の精密加工技術者も開発プロジェクトに参加することで、最終的には困難とされた薄型のピエゾ素子や極小のノズルを完成させたのです。

このブレイクスルーにより、エプソンのプリンターは省電力化、小型化、高品質化、高速化、さらに価格面の競争力強化を達成しました。まだデジタルカメラが普及する前の90年代に、早々と写真画質を実現しています。その後、より高い画質を求めて、写真画質の改善競争を他社と繰り広げることになります。現在では、写真画質は当たり前で、スマートフォンやメモリーカードから直接印刷できる使い勝手の良さを重視するユーザーが増えました。

(写真6)エプソン販売 RP営業部 RP MD課 課長 宮地哲氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

エプソン販売 CP MD課 課長 新川晶久氏は、当時の写真画質競争を思い出しながら「今ではデータや画像はパソコンやスマートフォンで見ることが多くなりました。しかし、画面で見るのとプリントして手に取って見るのとでは、受ける印象が全く変わります。プリントならではの良さは絶やしてはいけないと思っています」と写真画質で印刷することに対する強い思いを語ってくれました。

エプソンのインクジェットプリンターはほかのサーマル式インクジェットプリンターやレーザープリンターにない利点があります。印刷に熱を使わないので、インクを変質させることがないのです。熱を加えると変質してしまうインクもありますが、ピエゾ方式ならそのようなインクも問題なく扱えます。つまり、使えるインクの選択肢が広いということです。今では、マイクロピエゾ方式のプリンターは紙に印刷するだけでなく繊維に染料でプリントする捺染(なっせん)、カーラッピングなど、活躍の場を広げ、かつては考えられなかったようなものへの印刷も実現しています。

オフィスでの利用を考えると、やはりコストやスピードが重要となります。インクジェットプリンターはレーザープリンターと比べると構造がシンプルなので交換部品が少なく、ランニングコストを抑えられます。またインクジェットプリンターは予備動作が少ないため、最初の1枚を出すまでの時間は、レーザープリンターよりも短いという利点があります。

現在エプソンは、「高速ラインヘッド」開発に力を入れています。ラインヘッドとは印刷する紙の幅と同じくらいの幅に、インクを吐出するノズルを高密度で並べたものです。現在のインクジェットプリンターは、印刷ヘッドが横に移動しながら紙にインクを吐出しています。ラインヘッドは、現在の印刷ヘッドが横に移動しながらインクを吐出するという作業を、一瞬で、紙の幅全体に対して済ませてしまうものです。これが実現すれば、印刷速度でもレーザープリンターを超えるものができます。

エプソンは独自開発した「マイクロピエゾ」技術で、写真画質を達成し、多くのファンを獲得しました。現在では同じマイクロピエゾ技術で、ビジネス文書向けのプリンターの開発、販売に力を入れています。エプソンのインクジェット技術は幅広い用途に応用できて、今のところこれに代わる技術は見当たりません。これからもエプソンはインクジェットで開発を進めていくことでしょう。

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